学問の歴史と人間の思考の順番は一緒?
ちょっと前に哲学の順番の話を書いた。そこでふと、学問の発生の歴史と私達の思考の順番は一緒ではないのか? という疑問がわいたので、今日は適当にその流れを追ってみようかと思う。おそらく人間○○学とか社会○○学とかですでに検証されていると思うが、まぁひとつの余興である。
前の記事で考えた哲学の位置と思考の順番は以下の通り
!未知の出来事が発生!
→神学的解釈「神様の仕業だ!」
→哲学的解釈「何が起こっているのか?」
→科学的解釈「これはどうなっているのか?」
何がしたいかというと、この図にいろんな学問解釈を書き加えてみたい。神学→哲学の流れは哲学史上で繋がっていることがわかっている。でも、哲学と科学の間にはもっといろいろな学問が入りそうだ。
別記事の『テキトーに哲学史の話をしよう』から時系列順に引っ張ってくると、ピュタゴラスが哲学から数論(学)を発見したようなので、哲学と科学の間にこの数学を加えてみよう。ついでに科学を近代科学に修正した。
!未知の出来事が発生!
→神学的解釈「これは神様の仕業だ!」
→哲学的解釈「これは何が起こっているのか?」
→数学的解釈「これは数で仮定できるか?」
→(近代)科学的解釈「これを再現するにはどうすればよいか?」
つぎにプラトンが哲学から自然学、論理学、倫理学を作り出したようなので、数学と科学の間にこの3学を書き加えてみる。
!未知の出来事が発生!
→神学的解釈「これは神様の仕業だ!」
→哲学的解釈「これは何が起こっているのか?」
→数学的解釈「これは数で仮定できるか?」
→自然学的解釈「これはどのような原理でこうなるのか?」
→論理学的解釈「これはどのように説明できるか?」
→倫理学的解釈「これは善いことであるか?」
→(近代)科学的解釈「これを再現するにはどうすればよいか?」
さて、こうなると他にもいろいろ付け足せる学問がありそうだ。でも、無闇に足して行ってもキリがないので、ここはひとつ先の楽しみとして哲学史の記事の発展を待ってから追いかけて見ることにしたいと思う。
ついでに、前と同じようにお財布を拾った現代人の思考を描写してみよう。
フリー素材 (素材先)
道の真ん中で大金が入った財布を拾う
→神学的解釈「神様の贈り物だ。ラッキー!」
→哲学的解釈「いや何故ここに財布が落ちているのか?」
→数学的解釈「財布の中にいくら入っているか?」
→自然学的解釈「誰かが財布を落としたのではないか?」
→論理学的解釈「私は放棄された財布を発見したのだ」
→倫理学的解釈「財布を拾うことは善であるか?」
→(近代)科学的解釈「またここで財布を拾うためにはどうすればよいか?」
大体こんな感じだろうか。 私達は大金を拾った場合こんな順番で物事を考えるようだ。初めに「ラッキー!」と飛びつき、「何故?」と踏みとどまり、まず「中身を数える」かなり適当に作ったが、案外当たっているような気もしないでもない。
とりあえず、自然学、論理学、倫理学の順番は順番は並列的にしているが、哲学史的にどんな順番が正しいだろうか? 数学も自然学の下のような気がしないでもない。幾何学なんかがプラトン以前に出現している気もするが、果たしてどうだろう?
それにしても、近代科学の学問的発想はなかなかにあくどい(笑)
つづく?
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