哲学の位置は神学の真下で科学のチョイ上
今日も当然ながらあんまり書くことを思いつかない。仕方がないから哲学の位置についてでもこの間考えたことをダーラダーラと語ることにしよう。そして、思いのほか長くなったので目次を作る。
目次 1.哲学ってなんなのさ?
2.哲学の位置は神学の真下で科学のチョイ上にある。
3.科学に至るまでの思考法
4.まとめてみよう
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1.哲学ってなんなのさ?
ふと、哲学って言葉は日本の社会を良くあらわしているように思う。哲学って難しい言葉で解らない理論をこねくり回している。なんだか大仰で大逸れて偉ぶっているから容易に手が届かない気がする。そして、実際私達の生活の中で何の役に立つのかわからない。
ほら、哲学は大体社会の上のほうの人たちが行っていそうなことと同じようなものだ。ここは思い切って、「私達は何の役に立つのかわからない哲学に搾取されている!」っと叫んでもいいかもしれない。
でも、ここは哲学を齧るスペースなのでそんなことはしないんだけれども。でも、逆説的にいえば哲学が何であるかをはっきりさせれば、社会がどうなっているのかが分かるかもしれないじゃないか。
さて、前置きが長くなったので簡潔に話そう。
哲学の位置は神学の真下で科学のチョイ上にある。
哲学は神学の神学の真下にある。だから、哲学からは時々怪しい宗教の匂いがする。だから、宗教嫌いの日本人は哲学を良く分からないままなんとなく嫌いになる。
そして、哲学は科学のチョイ上にある。だから、哲学は不思議な雰囲気を持っている。だから、科学が大好きな日本人はなんとなく哲学に憧憬と畏怖を抱いている。
これらを正すためには宗教と哲学と科学の線引きをきちんとしてやる必要があるだろう。簡単に説明してみよう。
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ちょっと想像してみて欲しい。ある日、道を歩いていて、突然大金が入った財布を拾ったとする。さて、アナタはどうするだろうか?
神学者はきっとこう考える「これは神の贈り物だ!!」
哲学者はきっとこう考える「何故ここに財布が落ちているのか?」
科学者はきっとこう考える「落とし主に繋がる手がかりはないか?」
こんな風に書くと、倫理的に科学者が”善”で神学者が”悪”のように感じてしまうかもしれないが、ここでは考え方の問題でそういう意図を持たせたつもりはない。神学者は神の贈り物を交番に届けるかもれないし、科学者は落とし主を調べてネコババするかもしれない。
3.科学に至るまでの思考法
さて、あなたはどんな想像をしただろうか。ここで問題なのは方法ではなくて順番だ。神学者も哲学者も科学者も同じ人間である。だから、彼らはここで実はまったく同じことを考えている。
神学者はこう考えた「これは神の贈り物だ!→では、これをどうしよう?」
哲学者はこう考えた「これは神の贈り物だ!→いや、そんなはずはない。→では、何故ここに財布が落ちているのか?」
科学者はこう考えた「これは神の贈り物だ!→いや、そんなはずはない。→では、何故ここに財布が落ちているのか?→何か落とし主に繋がる手がかりはないか?」
そんなバカな話があるかと思われるかもしれない。でも、想像の中で「ラッキー!」と財布をネコババしたアナタ! あなたは紛れもなく神学的思考の持ち主であると言える。もちろんここでそれをバカにしているわけでも、悪く言っているわけでもない。
ちょっと思い返して欲しい。良く考えてみると私達は生活の中でかなりの部分を神学者的発想(ラッキー!)に委ねて生活している。日々の瑣末な出来事において私達は例に挙げた哲学者や科学者ほど物を考えてなどいない。
だから、私達の生活の中で哲学が必要であると言えるように思う。神学的発想(ラッキー!)を超えて、すべてを神様の所為へとしないために哲学が存在しているのだ。哲学的思考とは原因と最適解を探すために必要な「いや、そんなはずはない。→では、何故ここに財布が落ちているのか?」っという思考法なのだ。
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次に、「落とし主に繋がる手がかりはないか?」的な想像した科学的思考の持ち主も多く居たことだろうと思う。意識をせずともあなたは既に神学者であり哲学者であり科学者であると言えるだろう。
逆に言うならば、科学的思考にたどり着いた時点で神学的思考と哲学的思考を経ている。「何か落とし主に繋がる手がかりはないか?」と科学的思考には神学的思考と哲学的思考が欠かせない。
なぜならば、この思考は「これは神の贈り物だ!→いや、そんなはずはない。→では、何故ここに財布が落ちているのか?→何か落とし主に繋がる手がかりはないか?」このような手順で生み出された思考だからだ。
あなたが科学的思考を行うためにはまず哲学を行わなければならない。突然の神学的な出来事に際して、どうするべきかと考えているその行為があなたの哲学であると言えるだろう。 だから、私達の生活の中に哲学が必要であると言える。
4.まとめてみよう
哲学の位置は神学の真下で科学のチョイ上にある。
では、哲学を言葉で表すと何なのか? 哲学は神学の代わりを探すもの。哲学は神学を否定するものだ。哲学は神学以外の考え方を探すもの。哲学は新しい考え方を発見するものだ。そして、科学はその一分野に過ぎない。
だから、科学全盛の世の中において、哲学は科学の代わりを探すものでもある。だから、哲学は科学を否定するものでもある。だから、科学全盛の世の中において哲学はちょっと胡散臭い。
でも、新しい考え方を発見するために哲学は必要なものだ。そうやって哲学はいろいろな新しい思考(学問)を発見してきた。科学はその一分野に過ぎない。これは人間の思考してきた歴史、哲学史を見れば分かると思う。
だから、哲学的思考を用いて科学的思考を駆使する現代人たる私達にとって、哲学が普段の生活にかけがえの無いモノだと理解できるはずだ。それを認めない現代人はただ、「ラッキー!」とその恩恵を甘受しているに過ぎないのだから。
そして、未だにすべての財布が落とし主の元に帰るわけではないのだから。
以 上