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なんちゃっ哲学はじめました

約束を破ったのはだれか?-舛添都知事問題などを考える

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 伊勢志摩サミットやオバマ大統領の広島訪問などが終わり、再びニュースやワイドショーの話題が舛添都知事に帰ってきました。別に彼を擁護したいわけではないのですが、この問題に関する報道やバッシングを見ながらちょっと考えてみたいと思います。

 目次

・舛添都知事問題について

・私たちは何に怒っているのか?

・法律という約束ごと

・約束を破ったのはだれか?

・私との約束を破ったのはだれか?

・私たちをミスリードする何か

・舛添都知事問題をミスリードしないために

 

・舛添都知事問題について

 週刊誌に取り上げられた舛添都知事の公私混同ととれる行動から公金横領疑惑に発展し、都知事のリコールまで発展しそうな勢いです。毎週都庁では都知事の釈明会見が行われ、そのたびに舛添バッシングが沸き起こりテレビや雑誌を賑わせています。

 

 彼の釈明は法的な不可罰を主張するような、文字通り的を得ないものであり、視聴者を納得させるどころか怒りを呼ぶような内容であることもこの騒動を燃え上がらせている一因ではあるでしょう。

 

 しかし、ここで少し立ち止まって考えてみてください。私たちはどんな理由があって彼をここまでバッシングするのでしょうか? もちろん彼が何か後ろ暗いことを行ったことは確かなようです。それを擁護したいわけではありません。でも、私たちは彼の何に怒りを感じているだろうか? それを考えてみたいと思います。

 

・私たちは何に怒っているのか? 

 ここで一番に出てくる答えは「彼は都知事という立場を利用して、公私を混同し公金を横領したからだ」でしょうか? でも、それがなぜいけないのでしょう? それは「そういうことを行ってはいけないという決まり事を破ったから」と言えるでしょう。つまり、私たちは「彼が約束を破ったから怒っている」ということになります。

 

 でも、ここで考えてみてください。本当に舛添都知事は私たちとの約束を破ったのでしょうか? 少なくとも私は舛添都知事と直接「公金の横領は行わない」という約束を行った覚えはありません。それにもかかわらず、私たちは「彼が違反をした! 約束を破った!!」と言っています。いったいここで破られた約束とは誰と誰の約束なのでしょうか?

 

・法律という約束ごと

 ちょっとまどろっこしい問いかけをしました。その答えは皆さんご存知の通り、舛添都知事は「法律という約束ごとを破ったのだ」といえるでしょう。私たちは法治国家の下で生きています。法治国家の下で私たちは法律という約束事を守らねばいけません。だから、法律を破った舛添都知事を弾劾するのは当然のことだ。そう考えています。 

 

 ここで法律という約束ごとを考えてみましょう。法律とは国家と国民との間で結ばれる約束ごとです。ですから、法治国家の国民は法律を守るという約束ごとを国家と結んでいることになります。

 

 この約束。なんだか一方的に義務を課せられているような気分になります。「なんで誰かが勝手に決めた法律を守らないといけないだ!」なんて叫びたくなったりします。でも大丈夫。この約束は国家からの一方的な約束ではないのです。

 

 私たちは国家に”法律を守る”という約束をさせれています。でも同時に国家は私たちに”他の国民にも法律を守らせる”という約束をしているのです。この約束は言い換えれば契約といってもいいでしょう。

 

 この契約があるから私たちは一定の共通理解の下で安心して生活することができるのです。社会のどの人間も法律を守るという約束をした人間なのですから。突然暴力を振るわれたり、略奪をされたりする心配がありません。

 

 簡単に言うと法律という約束は「他のやつにも法律を守らせるから、あなたも法律を守ってね」という契約なのです。

 

・約束を破ったのはだれか?

 法律の契約体系が分かったところで再び舛添都知事の問題について考えてみましょう。舛添都知事は”公金の横領疑惑”という法律違反を指摘されています。事実であれば法律という約束を破ったということになります。

 

 法律を破ったということは、国家との約束を破ったということです。舛添都知事は約束破りの悪い人ですね。だから私たちは彼に対して怒っています。でも、ここでちょっと考えてください。ここにもう一人約束を破っている人がいるんじゃないでしょうか?

 

 そう。国家です。国家は私たちに「他の国民にも法律を守らせる」という約束をしていたはずです。舛添都知事が法律を破ったのであれば、国家も「他の国民に法律を守らせる」という約束を破っています。

 

 だから私たちは怒らなければいけません。国家に対して「約束を守れないなら契約は無効だ! 私たちも法律を守らねーぞ!!」と訴えてもいいはずです。

 

・私との約束を破ったのはだれか?

 もう一度、この問題をよく考えてみましょう。ここで約束を破ったの誰でしょうか? 一番バッシングを受けている舛添都知事でしょうか? 舛添都知事と私は何の約束も結んでいませんので、直接的な関係はありません。舛添都知事は国家との約束を破ったのです。そして国家は舛添都知事にも法律を守らせるという私との約束を破りました。

 

 どうでしょう? だいぶこの問題の本質が見えてきたのではないでしょうか? 私との約束を破ったのは国家だったのです。だから、ここで私たちに対して釈明する必要があるのは国家です。私たちと何の約束をしていない舛添都知事ではありません。そして、国家が舛添都知事を糾弾するのが正しい形のはずです。でも何故か私たちは国家を飛び越えて声高に舛添都知事を糾弾しているのです。

 

・私たちをミスリードする何か

 なんでこんなことがおこっているのでしょうか? 社会正義だとか、国家の弱体とか、政治的思惑とか、いろいろありすぎて原因を特定することはできません。でも、ここでこのように私たちをミスリードさせる力が働いているのは事実です。

 

 どうも私たちの社会ではこのようなミスリードを行い、責任を個人に向けてバッシングをさせて有耶無耶にさせるような仕組みが出来上がっているように思えます。これは舛添都知事の問題に限った話ではなく、私たちの日常の中でも容易に起こっている問題なのです。

 

 どうも政治がうまくいかない。きっとあいつが悪いことをしているからだ。どうも仕事がうまくいかない。きっとあいつがミスをしたからに違いない。どうも家庭がうまくいかない。きっとあいつが言うことを聞かないからだ。どうも思った通りにいかない。きっとあいつが悪いんだ。

 

 社会にはこんなミスリードが溢れています。そして、この力が子供にまで及ぶと陰湿なイジメに発展するのではないのかなぁっと思います。逆に言えば、子供が起こすイジメのような行為を大人が社会で相も変わらず行っているのです。

 

・舛添都知事問題をミスリードしないために

 ですから、私たちは舛添都知事への過剰なバッシングをやめて、国家の約束破りを糾弾すべきなのです。そして、国家に対して再発防止を求めていかねばなりません。舛添都知事への対処は国家が決めることです。私たちが直接彼に要求することではありません。

 

 私たちと舛添都知事との間には何の契約関係にもないのです。ですから、今報道されているような過剰バッシングに参加することは、彼への一方的な攻撃であると考えることもできます。

 

 言われなき個人攻撃は法律で禁止されていることです。私たちの舛添都知事に対するバッシングは法律違反であると考えることもできるでしょう。彼は確かに約束を破ったのかもしれません。しかし、そのことで彼を異常に叩くことはあなたも彼と同じように国家との約束を破っているともいえるのです。

 

 他者のことを言う前にまず自分が国家との約束を守らなければいけません。ミスリードに乗せられて彼を異常に叩いたり笑いものにすることは、国家との約束を破った彼と同じ土俵に上がってしまっているのと同義なのですから。