老子的発想で考える - 白瀧酒造「上善如水」というお酒
さて、懲りずに中国哲学シリーズです。今日は白瀧酒造「上善如水」というお酒について語ってみたいと思います。かなり有名なお酒なので皆さんも一度はご賞味されたことがあるかと思います。今日はこれを哲学してみましょう。
「もっとも理想的な生き方(上善)は、水のようである」。2000年以上前の中国の思想家 老子の思想に重ね合わせつくられた「上善如水」。私たち白瀧酒造は、この老子の思想に重ね合わせ、「最良のお酒は限りなく水に近づく」と考えます。
そこで、雪解け水のように清らかで、どんな料理にも合い、 日本酒を飲み慣れた人はもちろん、 初めて日本酒を飲む人にも親しんでもらえるような、柔軟性のあるお酒を作りました。「上善如水」。澄みきった水の如き日本酒です。
「上記が白瀧酒造公式ページの”上善如水”の紹介文ですね。とても清らかな日本酒として紹介されていますが、飲んだことはありますか?」
「あんまり日本酒とか飲まないから覚えて無いけど、聞いたことあるよ!」
「紹介文のとおり、この名前は中国哲学の『老子』から取っているんですよ。今日は老子的発想から”上善如水”を考えて見ましょう!」
「無料酒が飲めると聞いてきたんですが…」
「上善如水、水善利万物而不爭。処衆人所惡、故幾於道。居善地、心善淵、與善仁、言善信、政善治、事善能、動善時。夫唯不爭、故無尤。」
「例によって打ち込むのが面倒なので、他所から頂いてきてしまいましたが、”上善如水”の原文はこんな感じです」
「アイヤー、シェシェ、ザイチェン!」
「そんな慌てなさんなって。簡単に解説します。…...このやり取りは今後定番になりそうですね。ちなみに、下記訳はお手本例なので、読んでも読まなくてもかまいません。」
徳のある人はまるで「水」のようである。水には、三つの特性がある。第一に、水は万物を育て養う。第二に、水の性質は柔らかく弱い。自然に従い、争うことは無い。第三に、水は人々がいやがる低いところに流れる。
水は低いところに流れ、徳のある人は人の下に甘んずる。水はそこ深く清らかであり、徳のある人は、心静かに何も語らない。水は万物に施し、徳のある人もまた、施しても報酬を望まない。水は万物をありのままに映しだし、徳のある人の言葉は偽りがない。
水は柔らかく弱く、どこにでも流れていく。人びとも水のように争わず下に立つことができてはじめて、「道」に近づくのである。
「本ブログ推奨本の『マンガ老荘の思想』より頂いてきました。”上善如水”いかがでしょう?」
「いいこと言ってるんだろうけど、あんまり興味が無いから「まぁ、なるほどねぇ」って感じかなぁ」
「それじゃあ、お酒の名前として”上善如水”ってネーミングはどう思います?」
「良いんじゃない? 響きがカッコイイし澄み切った聖人みたいな感じで、名前をつけた人は良いセンスをしていると思う!」
「では、ここからはひん曲がった私の解釈で”上善如水”を読んでみます」
「上善如水、水善利万物而不爭。」
上善とは水のようなものです。
水は万物を育て養い、争いません。
「お酒の名前であります。ここは問題ありませんね」
「万物を養い争わないお酒! "上善如水"をよろしく!」
「処衆人所惡、故幾於道。」
(水は)人びとの嫌がるところにも流れていきます。
そういうところが「道」という理想の状態に近いのです。
「ここまでが水の話です」
「あれ? 水の話これだけ? 訳だとずーっと水の話をしているけれど」
「その辺りは後から解釈を足してあるんですよ。ここからは人の話です」
「居善地、心善淵、與善仁、言善信、政善治、事善能、動善時。」
だから、水のような所に住みなさい。
水のような深い心を持ちなさい。
水のように仁と共に歩みなさい。
水のように正しいことを言いなさい。
水のように治まった状態を保ちなさい。
水のようにはたらき、水のように仕えなさい。
そして、水のように流れるように動くのです。
「夫唯不爭、故無尤。」
そもそも(水のように)争わないことです。
そうすれば、災いもないでしょう。
「最初に”上善は水の如し”と言っているので、”善”は”水のように”と訳しました」
「なんか、水、水、うるさい文章だな!」
「まぁ、主題が水ですから」
「ところで、この”上善如水”の”水”ってどんな水だと思います?」
「白瀧酒造さんの言うように清らかな雪解け水なんじゃないの?」
「なんとなく、皆さんそういうイメージで語られてますけれど、私はそうは思わないんですよね。例えば下記を見てください」
(水は)人びとの嫌がるところにも流れていきます。
だから、水のような所に住みなさい。
「これだけ見ると、人の嫌がるところにも住みなさいとも取れません?」
「あー、言われてみれば…」
「そういう目で見ると全部そんな感じに読めてしまいます」
人の嫌がるところにも深い心を持って許容しなさい。
人の嫌がるところにも仁と共に歩みなさい。
人の嫌がるところでも正しいことを言いなさい。
人の嫌がるところでも治まった状態を保ちなさい。
人の嫌がるところでもはたらき、人の嫌がるところでも仕えなさい。
そして、人の嫌がるところにもに流れていくのです。
「こういう、嫌なところにも流れていって混ざっていく、”上善”とはそういうことだ。私は老子はそういっているように思えるんです。それを『マンガ老荘の思想』では”低い所”とやさしく訳しているわけですね」
「解釈によっていろいろ見方が変わってくるね」
「この解釈でもう一度白瀧酒造「上善如水」を見てみます」
「もっとも理想的な生き方(上善)は、水のようである」。2000年以上前の中国の思想家 老子の思想に重ね合わせつくられた「上善如水」。私たち白瀧酒造は、この老子の思想に重ね合わせ、「最良のお酒は限りなく水に近づく」と考えます。
そこで、雪解け水のように清らかで、どんな料理にも合い、 日本酒を飲み慣れた人はもちろん、 初めて日本酒を飲む人にも親しんでもらえるような、柔軟性のあるお酒を作りました。「上善如水」。澄みきった水の如き日本酒です。
「老子様がこのお酒を飲んだらなんていうのかな?」
「私の解釈が正しければ、「澄み切った水の如き日本酒です!」「……そんなものは上善ではない…...」と言いそうな気がします。むしろこっちのほうが好みなんじゃないかなぁ?」
「”上善如水”ですって”どぶろく”出されたら吹いてしまいそうだ(笑)」
「でも、老子の言う”上善な水”ってどっちかと言うと私は”どぶろく”だと思うんですよ!!」
参考文献