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なんちゃっ哲学はじめました

國分功一郎を読んでみた - 暇と退屈の倫理学 (7)

暇と退屈の倫理学 増補新版 (homo Viator)

第七章 暇と退屈の倫理学──決断することは人間の証しか?

 本章では今まで得られた見解からハイデッガーの「退屈論」を再構成し、退屈の根源に迫ります。あるとき人間があけてしまった退屈という名のパンドラの箱には確かに希望が残っていたのだ。

 本章もTV番組「哲子の部屋」で紹介された『ジル・ドゥルーズ』『フロイト』を交えながら考察します。哲学なんて分からない!なんて方は哲子の部屋から入るのがお勧めです。

 

では、以下要約。

 Q1.で、結局退屈との付き合い方って?

では、今までの先生方の見解をおさらいしてみます。

ブレーズ・パスカル』先生曰く
退屈という病は神への信仰によって解決します。
『バーランド・ラッセル』先生曰く
退屈の反対は快楽ではなく、興奮である。興奮できるような熱意を持った生活を送れば幸福である。
『ラース・スヴェンセン』先生曰く
退屈が人々の悩み事となったのはロマン主義のせいだ。ロマン主義と決定的に決別し、 個人の意味を見つけるのを諦めなさい。

マルティン・ハイデッガー』先生曰く

退屈が告げているのは自由であるという事実そのものだ! あとは、決断をしてその自由の可能性を発揮せよ!

 

Q2.神様はもう死んじゃったし、ロマン主義なんてわけ分からないし、熱意を持て!とか決断せよ!とかただの精神論じゃん!

  これは手厳しい。では、前章で得た結論です。

人間の持つ自由な環世界移動能力が、実は人間を退屈と感じさせている。ってことは、人間も環世界移動をやめれば退屈じゃなくなるの?

 

Q3.そうそれ。でも環世界移動ってやめられるのかな?

 それでは、まず人間はどのように環世界を獲得していくのか考えて見ましょう。

 

Q4.えっと他の世界を認識して…獲得して…???

 ざっくり説明してみます。前章で「え?世界は一つだよ?」という認識がありました。同じように、人間は世界は一つでどこまでも広がっているように感じています。

 しかし、世界の全てを認識しようとしていては、人間はいつまでもよく分からない世界で生きていくことになります。突然何か未知のものが何処からか襲ってくるかもしれない。不安です。

 そこで、人間は安心して生きていくために、どこかで世界に区切りをつけてしまいます。いわば、「ここからここまでが世界で、この世界はこのように動くことになっている!」っと単純に決め付けるわけです。この決め付けが環世界の獲得です。

 

Q5.分かったような分からないような…?

 もっと身近な例として”習慣”を考えて見ましょう。私たちは普段どのように習慣を作っていきますか?

 

Q6.習慣の作り方…? 無意識でも出来るように…何度も何度も繰り返して…?

 そうですね。人間は”無意識”で行動出来るように”習慣”を作っています。”A>BだからC”で動くことが習慣です。動物と一緒ですね。

 言い換えるならば、”考えなくても行動できる”ように行動をプログラムしてしまいます。いちいち考えていると疲れちゃいますから。実は人間は”モノを考えなくてすむ”生活を目指して習慣を作っているのです。

 

Q7. え?考えない生活を目指しているの? 今めっちゃ考えてるよ?

  では、ここで新しい先生方をお呼びしましょう。

フロイト』先生曰く

 人間の精神生活は快を求め、不快を避ける快原理に支配されている。 生物は興奮状態を不快と受け止め、一定に保たれることを快とする。

ジル・ドゥルーズ』先生曰く

 哲学者たちはこれまで人間はものを考えることを好むと述べてきた。しかしそれはまったくの間違いである。人間はめったに物を考えたりなどしない。人間がものを考えるのは、仕方なく、強制されてのことである。

 

Q8. どういうこと?

 例えば、初対面の人と一緒に行動するとき人は緊張しますね。緊張とは興奮状態。つまりは不快です。慣れた友人と一緒に行動するほうが精神は安定します。つまり快いのです。

 けれども、どうしても初対面の人と一緒に行動しなければならない場面もあります。この”初対面の人”という異物混入事件によって、私たちは強制的に「この人と上手くやるにはどうしたらいいのだろう」などと”考えさせられる”わけです。

 ちなみに、今”めっちゃ考えている”あなたは、私という異物混入事件のためにめっちゃ考えさせられているわけです。

 

Q9.でも、知らない人に会うのが好きってひとも居るよね?

ジル・ドゥルーズ』先生曰く

 何かが快いからそれを反復するのではなくて、反復するから習慣が生じ、それによって快が得られるのである。

 つまり、その人は”知らない人に会う”習慣が出来ているのです。”知らない人に会う”機会をたくさん経た結果、”知らない人に会う”習慣が生じます。実はその人は”知らない人に会う”という行為が好きなのではなく、”知らない人に会う”という習慣が好きのです。

 

Q10.それじゃあ、自分の環世界内で作られた習慣をずっと守れば、心地よい生活が出来て退屈じゃなくなる?

 理論的にはそうなりそうなんですが…。想像してみてください。ずっと同じ世界で同じ習慣しかない生活…退屈しませんか?

 

Q11.…すごく退屈そうです。 

 そうなんです。つまり、人間は習慣を作りだし、安定した環世界を持つことを望んでいます。しかし、その安定した環世界の中では人間は退屈をしてしまう。どうにも、人間にとって環世界と退屈は切っても切れない関係のようなのです。

 

Q12.それじゃどうするの?

 退屈を切り離せないならば、”退屈と上手く付き合っていく”方法を考えたほうが良さそうです。ここは、退屈についてもう一度考えて見ましょう。

1.退屈の第一形式

時間を無駄にしてむなしいという感覚です。

2.退屈の第二形式

自分で何かを行っていたのに、なんとなくむなしいという感覚です。

3.退屈の第三形式

理由もなく突然すべてがむなしいという感覚です。

 

Q13.たしか退屈の第三形式が根源で、退屈になったら自由を決断せよ!なんでしょ?

 そのとおりです。では、実際に決断して見ましょう。 実は私、退屈の第三形式の状態です。すべてがむなしいです。時々死んじゃおうとか考えたりしてます。

 

Q14.な、何を突然!? 本読んでブログの記事書いている途中じゃない!

 そうでした。この”むなしさ”から開放されるために、新しく”決断して”本読んでブログ始めました。最近☆もらったりしてHappyです!今も”夢中で”記事書いてます。ここで私は自由です! 退屈なんてありません!

 

Q15.よかったじゃん。”決断”とか”熱意”とか案外正解なのかな?

 そうですねー(カキカキ)やっぱり偉い人は良いこといいますねー(カキカキ)ドンガラガッシャーン!(落雷) あっ!(暗闇)

 

Q16.あら、停電かな?台風近くに来てるもんね。

 …記事が消えました。…PCも落ちました。…停電でブログが書けません。…退屈です。…退屈の第一形式です。…でも私は知っています。…この退屈はカリソメの姿。…退屈の第三形式が本物で根源です。

 …やつが…ヤツが…やってきます。やっぱり、全てが無意味だったんだ…ウワー!!ムナシイ!!ウワー!!

 

Q17.お、落ち着いて!それは自由よ!決断して!!…ってあれ??

 このように”決断”をして何かに”夢中”になり、それに向かって没頭すれば人は一見満足します。けれども、”それを妨げる無駄な時間”が現れると、人は退屈の第一形式を感じます。そして、退屈を無視できなくなると退屈の第三形式へ陥ります。図式で書くとこうですね。

退屈の第三形式→自由の決断→没頭→妨げ→退屈の第一形式→直視→退屈の第三形式

Q18.ループしてるじゃない!

 よく考えるとそうなんです。退屈から何かを決断した人間は、その決断に没頭し続けなければ、退屈から逃れ続けることはできません。結果的に自由であるはずのその人は、没頭し続けることで自由ですらなくなってしまう。この退屈の連鎖に人は良く嵌ります。

 

Q19.それじゃあ、他にいい方法ってあるの?

 残された退屈の第二形式を見ていきましょう。実は私、今、退屈の第二形式状態です。ブログを始めて見たものの、アクセスとか反応とかほとんどなくて、がんばって記事を書いていても、なんとなくむなしいのです。

 

Q20.げっ、またですか…暴れないでくださいよ?

 そんなことしませんよ。自分が好きでやってることですから。退屈と感じたら、別の気晴らしを始めればいいだけです。台風一過でいい天気ですし、ちょっとサイクリングにでも行ってきましょうか。

 

Q21.あれ?理性的?でも、退屈の根源は解決されてないんでしょ?

 確かに退屈の根源が解決されたとは言えません。それでも、この退屈の第二形式は、”退屈と上手く付き合っていく”このキーワードに一番一致した状態だと思いませんか?

 

Q22.退屈から逃げるんじゃなくて、一緒に居て仲良くなろうってこと?

 いい発想ですね。この退屈の第二形式は気晴らしと退屈が絡み合って同居しているような状態です。そういえば、環世界と退屈も切っても切れない状態でした。両者の関係はなんだか似ていますね。

 

Q23.どうしたら退屈と仲良くできるの?

 一つの可能性をあげてみます。不安定な環世界体験という気晴らしの可能性です。退屈の第二形式を生きている人間は”気晴らし”という形で、自らの環世界に”異物”を受け入れる可能性が開かれています。
 人間が持つ環世界移動能力は”異物”を自由に受け取り、考え、新しい環世界を想像し、獲得することが出来ます。新たな環世界の獲得は、新たな考えや想像を生み出し、その環世界がさらなる環世界を生み出します。そのような形で人間は文明や文化を作り出してきました。
 

 Q24. もしかして退屈ってすごいエネルギー?

 実はそうなのです。暇と退屈との付き合い方。長かったこのテーマも次回で終了です。さしあたって結論を考えなければいけませんね。

 

 次回へ続く

bungeibaicai.hatenablog.jp

 蛇足…

長い…長い…さらに長い…疲れきった。長いのはまとめ切れてない証拠です。書きながら生まれた疑問があっちへフラフラ、こっちへチョロチョロ。もっと諸考察を綺麗につなげられないものかと。ホント風呂敷ってたたむのが大変ですね。環世界の解釈とかいろいろ間違えてる気がする。

 

没ネタ 

Q23.どうしたら退屈ともっと仲良くできるの?

安定した環世界と退屈は切っても切れない関係でした。そして、退屈と気晴らしが同居しているのが退屈の第二形式です。つまり、”安定した環世界=退屈+気晴らし”という図式が成立します。ここで、式を置き換えてみましょう。

”安定した環世界=退屈+気晴らし”

”退屈=安定した環世界-気晴らし”

”-退屈=ー安定した環世界+気晴らし”

”退屈ではない=不安定な環世界という気晴らし”

つまり、不安定な環世界という気晴らしが退屈を解決する方法だったんだよ!!

ナ、ナンダッテー!!!!!

 

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