國分功一郎を読んでみた - 暇と退屈の倫理学 (6)
第六章 暇と退屈の人間学──トカゲの世界をのぞくことは可能か?
本章では生物学者ユクスキュルの「環世界」の視点からハイデッガーの「退屈論」を考察し、人間と動物の違いから、そこに潜む退屈の根源に迫ります。
「環世界論」はTV番組の哲子の部屋でも取り上げていたので、そちらを見るほうが分かり易くてお勧めです。目から鱗体験ができますよ。本書も同じことを言っているですが、常にハイデッガー先生が纏わりつくので、目から鱗頭から煙が出ます。
では、以下要約。
前章でハイデッガー先生は”退屈の根源は自由である”と述べました。今回は新しい先生をお呼びしましょう。生物学者の『ユクスキュル』先生です。
Q1.『ユクスキュル』先生曰く
すべての生物は別々の世界を生きている。
Q2.えー?世界は一つだよ?
本当に世界は一つでしょうか? そもそも私たちの想像する世界って何でしょう? 辞書でも引いてみましょう。(大辞泉)
1. 世界=地球上のすべての地域・国家
「俺は日本生まれのロシア育ち、世界を股にかけて渡る渡り鳥さ。」こんな感じで地域・国家を全ての生物が想像しているのでしょうか? そもそも、私たちも詳細な世界地図って描けます?
2.世界=自分が認識している人間社会の全体。人の生活する環境。
だいぶ狭くなりました。自分が認識している社会の全体。ということは、認識が違えば世界も違う? 人間と動物の認識は同じでしょうか?
3.世界=職業・専門分野、また、世代などの、同類の集まり。
さらに狭くなりました。同類の集まり。つまり、職業や世代が違えば世界も違う? もちろん生物が違えば…?
4.世界=自分が自由にできる、ある特定の範囲。
究極的に狭くなりました。自分が自由にできる範囲のみが世界。自由にできない範囲は世界ではない? ハイデッガー先生は好きそうです。
Q3.…ごめんなさい、世界はいっぱいありそうです。
ちょっと意地悪なやり方でした。通常私たちは一つの客観的な世界を想像します。しかし、実はそれぞれの生物はそれぞれのやり方で、それぞれが認識したそれぞれに違った世界を持って生きています。
この生物固有の主観的な世界を『ユクスキュル』先生は"環世界"と呼びました。人間は人間の、動物は動物の、虫は虫の、独自の環世界を生きている。
Q4.生き物の数だけ世界があるんだね
実はそうなんです。生物はそれぞれに違った環世界を持っています。それでは、動物や虫も私たちと同じように退屈するのでしょうか?
Q5.うーん…世界が違うんだから…?
前章に引き続き『ハイデッガー』先生に聞いてみましょう。
人間だけが退屈をする。退屈の根源は自由であることだから。動物は退屈をしない。なぜなら動物に自由はないのだから。
Q6.え?動物に自由はないの?
動物は<衝動の停止>と<衝動の解除>とを繰り返して行動している。それ以外のやり方では行動することはできない。言わば閉じた世界を生きた存在である。だから動物は自由であると言うことはできない。
Q7.どういうこと?
解説してみます。動物の世界も一見自由に見えますが、実はその行動はコンピュータープログラムのようなもので、”A>Bだった場合Cをする”というように、あらかじめ決まった行動をするように組み込まれているのです。
普通は"A>B"だった場合"C"なんだけど、やっぱり今日は"D"にしようかな? そんな行動の自由は動物にはないと考えているんですね。全ての行動はあらかじめが決められているので自由とは言えません。だから、退屈なんてするわけが無いのです。
Q8.ほんとに?犬とか猿とか人間に近いよ?あくびだってするよ?
そうですね。ちょっと首をかしげたくなりますね。それでは、今度は視点変えて人間の場合を考えて見ましょう。
Q9.なんで人間の世界は自由っていえるの?
人間は自らの世界を認識しながら、他の世界を認識することができます。例えば、先ほどの問いで世界は一つじゃないと認識できたでしょう? あの瞬間、あなたは既に世界は一つじゃないという新たな”環世界”を手に入れています。
つまり、人間は他の世界を認識し、獲得することができる。言い換えると、人間は新たな”環世界”を獲得し、”自由”に移動することができる。
Q10.じゃあ動物は新たな環世界を獲得することはできないの?
実はそうとも言い切れません。盲導犬は厳しい訓練を経て、人間の環世界と近い環世界を獲得します。虫ですら周りの環境の変化へ対応し、その姿を変えるモノが存在します。
Q11.ってことは動物も環世界を移動するんじゃないの?
そうなんです。程度の差はありますが、動物も人間のように環世界を移動することがありえます。その意味では動物も退屈することがあると言えるかもしれません。
Q12.じゃあ動物も自由じゃん!
ここで一つ疑問が現れます。果たして、動物は環世界を”自由に移動”しているのでしょうか。
盲導犬「あー、人間の環世界疲れるわー。やっぱ犬の環世界さいこー」
盲導犬「にゃーん。ちょっと今日は猫の環世界体験してくるわー」
極端ですが、こんな盲導犬は余り考えにくいですよね。動物が環世界移動を行う多くの場合、環世界の移動を強要され、仕方なく新たな環世界を獲得します。逆に言えば、環世界は安定した状態であるほうが動物にとって望ましいのです。
Q13.そうしたら人間は?
人間は動物に比べ、極めて高い環世界移動能力を持っています。
人間「おはようございます!今日は平日。会社の環世界を生きるぜ」
人間「帰宅ー。会社の環世界疲れるわー。やっぱ家の環世界さいこー」
人間「にゃーん。休日は猫の環世界を体験して癒されるわー」
こんな人間は簡単に想像できますね。 最後はちょっとあれですが…。このように人間は様々な環世界を往復したり巡回しながら生きています。逆に言えば、安定的な環世界を持つことができない動物であると言えます。
Q14.動物より不安定だから動物より自由ってこと?
だいぶ繋がってきましたね。”人間が持つ自由な環世界移動能力が、実は人間を退屈と感じさせている。” このように考えることができます。
Q15.ってことは、人間も環世界移動をやめれば退屈じゃなくなるの?
いいですね。やっと結論らしきものが近づいてきました。次回はこれを踏まえ、退屈との付き合い方を考えて行きましょう。
次回へ続く。
蛇足…
な、長い…。前章以上に難産…。まとめきれてない上に、かなり解釈を変えてしまった。ハイデッガー先生が全部悪い! にゃーん。
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