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國分功一郎を読んでみた - 暇と退屈の倫理学 (4)

暇と退屈の倫理学 増補新版 (homo Viator)

  第四章 暇と退屈の疎外論──贅沢とは何か?

 

 第三章で問題となった消費社会と退屈の関係を問います。著者は哲子の部屋でも映画『恋はデジャヴ』を取りあえげて分かりやすい考察をしていましたが、本書でも映画『ファイトクラブ』をとりあげ”現代社会の疎外”を考察します。

 そのあたりの面白い考察については例のごとく本書をご覧ください。

 

では、以下要約。

  

Q1.贅沢って悪いことですよね?

 そうでもありません。豊かであることは贅沢であることでもあるのです。ボードリヤール先生によれば、贅沢には二種類あります。

 1.浪費する贅沢

 必要を超えて物を受け取ること、吸収することが浪費です。昔から行われてきた贅沢の方法です。

 2.消費する贅沢

 物に付加された観念や意味を求めることが消費です。近年、生まれた新しい贅沢の方法です。

 

Q2.どういうこと?

 1.浪費する贅沢とは?

 浪費する贅沢は必ずどこかで限界を迎えます。例えば、目の前にどんなごちそうがあっても、満腹になればそれ以上は食べられません。必要を超えたモノは使い切れずに無駄になります。結果として私たちは満足するでしょう。

 2.消費する贅沢とは?

 消費する贅沢は意味を求めるため限界がありません。例えば、”新しさ”を求める贅沢を想像してください。最新の服、最新の機器、最新の食事。これらを求める時、私たちが手にするのは服や機器や食事ですが、求めていた”新しさ”はすぐに消えて無くなり、次々に”新しい””新しさ”が現れます。その結果、私たちは満足に至ることがありません。

 

Q3.それじゃあ浪費する贅沢をすればいいんだね

 そのとおり!浪費できる社会こそが真に豊かな社会なのです。ところが、現代の消費社会は満たされなさという退屈を意図的に作り出し、消費者に消費を繰り返させることによって成り立っています。

 

Q4.消費社会って悪いやつですね!

 確かに私たちは広告で煽られ消費を強要されています。ただし、第三章で考察したように、その広告を必要としているのも大衆ヒマジンたる私たちです。

 私たちは消費を繰り返すことで、暇ではなくなりました。けれども、決して満足できない消費の連鎖をどこか退屈だと感じています。”暇ではないけれど退屈である” これってなんだか一番損をしているような気がする。それが今の私たちです。

 

Q5.じゃあどうしたらいいの

それでは、退屈についてもうちょっと考えて見ましょう。

 

次回へ続く。

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 蛇足…

 

 著者も記したとおりここの疎外論はちょっと難しい。確かに、消費社会の中で現代人は自己疎外の状態にあると言える。※疎外=これは何かが違う、こういう状態にあるべきではないという気持ち。 

 でも、この疎外論。本著のテーマ的に本当に必要だったのか。哲学界に向けて”疎外概念”の再考を求める論調なんですよね。疎外概念は哲学界では論述を避けて通れないほどタブーなのか。

 専門家で無い私には分からないのですが、このあたりで読むのをやめてしまう人が出てきそうでもったいないなぁとも。

 ついでに吐露して反省しまうと第一章を簡単に書きすぎた所為で本書のテーマである”退屈=とても辛い=気晴らし”と言う大前提が伝わらないだろうなぁっと。パスカル先生ごめんなさい。正直、Q&A形式もしんどくなって来た?

 

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