國分功一郎を読んでみた - 暇と退屈の倫理学 (1)
さて、久々にワタシに読書とブログのキッカケをくれた。『國分功一郎-暇と退屈の倫理学』です。面白かった。やっぱりこの人は好きだ。
内容を一言で言えば、易しく書いた講義録/論文。豊かさと共に「自由と暇」を手に入れた私たち。でも、それをどのように使ってよいかわからない。
自由であって暇があって退屈である。生という感覚の欠如、意味の不在。欠落感。暇の中でいかに生きるべきか、退屈とどう向き合うべきか。そもそも「好きなこと・やりたかったこと」って何だろう?
そんな現代病に國分功一郎が答えます。
先に結論から言うと、悩みをズバッと解決してくれるような答えは出てきません。 啓発本ではなく講義録や論文の類の本ですから。あえて言うならパスカルが正解。
講義っぽくテーマ毎にあらゆる知見を引用していくので、いわゆる、一本道のお話し上手な本ではありません。「こう」なんだけれど、「あれ」もある。「これ」はどうなのだろう。終始こんな感じ。
正直これに着いていくのはちょっと苦しい。でも、これに耐えられないとこの本を楽しむのは難しい。著者に言わせれば、この苦しさこそが退屈と付き合うスベなのだから。長くなりそうなので章ごとに簡単にまとめます。
第一章 暇と退屈の原理論──ウサギ狩りに行く人は本当は何が欲しいのか?
昔の偉い人に聞きました。
Q1.「 そもそも退屈って何?」
『ブレーズ・パスカル』先生曰く人間はじっとしていられない病にかかっている。だから人間は退屈から逃れるために気晴らしをして不幸を呼ぶのだ。
『バーランド・ラッセル』先生曰く
退屈とは、事件が起こることを望む気持ちがくじかれたものである。
『ラース・スヴェンセン』先生曰く生きる意味を自分の手で獲得すべきと考えるから退屈するのだ。
Q2.「じゃあどうしたらいいの?」
『ブレーズ・パスカル』先生曰く退屈という病は神への信仰によって解決します。
『バーランド・ラッセル』先生曰く退屈の反対は快楽ではなく、興奮である。興奮できるような熱意を持った生活を送れば幸福である。
Q3.「どれも理論はわかるけれど納得できません」
『國分功一郎』先生曰く
じゃあもう少し考えて行きましょう。
関連記事はこちら