老子的発想で考える - 戦国武将がよく言う”義”って何さ?
NHK大河ドラマ”真田丸”絶賛放映中ですが皆さんご覧になっていますでしょうか? 話題にしておいて何なのですが、私はほとんど見ておりません。真田幸村というと昨今のゲームのおかげで「お屋形様ぁ!」とか「大義のために!」とか叫んでるイメージなのですがドラマではどんな役回りなのでしょうか?
おそらくドラマでも語られている「義」とか「大義」という言葉。今日はそんな「義」について老子を踏まえながら斜め上に向かって考えてみたいと思います。
「御館様ぁ!」「幸村ァ!!」
「義によって!」「大義のために!」
「ワーワー!!」
「義を重んじる武将真田幸村とその仲間たち! かっこいいね!!」
「そうですね。でも簡単に”義のために!”とか言いますけれど、義ってそもそもどういう意味なんでしょう?」
「正義とか心意気みたいな感じじゃないの?」
「はたして”義”ってそんなかっこいい意味なんでしょうか? 義といえば、まずこの人に聞いてみましょう」
「孟子曰、仁人心也、義人路也」
孟子いわく「仁は人の心、義は人の道なり」
参考:孟子を読む
「はい。孟子先生は”義”というのは人が進むべき道である。とおっしゃっています」
「つまり「義のために!」っていうのは「人が進むべき道のために」ってこと? じゃあやっぱり「正義のために!」でいいんじゃないの?」
「孟子先生はそんな感じで使っていますね」
「上仁爲之、而無以爲。上義爲之、而有以爲。上禮爲之、而莫之應、則攘肘而仍之。」
「上仁はこれを為して、為にする無し。上義はこれを為して、為にする有り。上礼はこれを為して、応ずることなくば、肘を引いてこれによらしむ。」
「仁とは自然な振る舞いである。義は自ら意識して行うものだ。礼は相手を従わせようとする」
「老子先生に聞いてみました。”義とは自ら意識して行うもの”だそうです」
「意識して行うもの??」
「砕けた言い方をすれば、義というのは「これが義だ!」と言って行われるもので、結局自分のために言ってるんでしょ? ってことです」
「つまり、やりたいからやってるのが義?」
「そんな感じですね。この文章を意訳するとこんな感じです」
「上仁爲之、而無以爲。上義爲之、而有以爲。上禮爲之、而莫之應、則攘肘而仍之。」
「仁っていうのは自然な振る舞いのことだから、理想の状態に近いよね。でも、義というのは「これが義だ!」と言って行われるもので、結局自分のために言ってるんでしょ? 礼なんて「あいつは礼儀がなっとらん!」なんて言って相手に同じことを強要するんだ」
「”道”という自然な状態を理想とする老子から見ると、仁はまだいいけれど、義や礼というは不自然なものだ。というわけです」
「じゃあ、この考えで”義”を考えると?」
「義=自分がやりたいと思うこと」
「義を重んじる人」=「自分がやりたいと思うことを行う人」
「義によって!」=「俺がやりたいからやるんだぜ!」
「こうなりますね」
「なんかドラマの戦国武将たちがただの我儘な人たちに見えてきたぞ…」
「あと「大義のために!」もよく使われますね」
「この意味で大義を考えると…?」
「大義の大は自分より上のことを指す言葉です」
「つまり…!?」
「大義=上がやりたいと思っていること」
「大義のために!」=「上司がやれっていうからやってるんだ!」
「現代語訳をするとこうなりますでしょうか?」
「ロマンの欠片もないやん……」
「いつの時代も下っ端は大変ってことです」
おしまい
参考文献