Baicaiの欠片

なんちゃっ哲学はじめました

現代思想ガイドブック ジル・ドゥルーズ 読了

ジル・ドゥルーズ (シリーズ現代思想ガイドブック)

 『現代思想ガイドブック ジル・ドゥルーズ』を読み終わった。ボードリヤールが切れ味の鋭いナイフだとすれば、ドゥルーズはハンマー的な鈍器というか、のこぎり的な摩擦作用の大きいアイテムであったように思う。個々の論説の印象はそれほど鋭くないが幹に響いてくるような、気がつけば切り倒されてしまいそうな感覚だ。

 

 総合としてはそんな刺激を感じながら読んだ。しかし、文学評論の下りはやや茫洋として読んだ。訳者あとがきに「ドゥルーズの文学批評的な評価はまだ十分に反映されていない」と記されていたが、ドゥルーズの文学評論の下りはその通りに評価と理解に困った語り口であったように思う。

 

 問題は何処までがドゥルーズでどこまでがドゥルーズでは無いのか。それが分からない。そしてこの感覚を何処で活かせばいいのか。それもわからない。つまりは、ドゥルーズがよく分からない。単純なようでいて遠いような、遠いようで単純なような。自分の中で評価に困ってしまうおじさんである。

 

 先のボードリヤールもそうであったが、現代思想家の人たちは得てしてそんな感じを受ける。歴史になってない評価が定まっていない。自分で評価をしなければいけない感覚だ。そしてそれをするためには教養が足りない。今の私がそれをやると学生論文的なかわいい答えしか出てこない。

 

 あと、印象的なのは訳者あとがきである。当然最後に読んだために読了感をすべて持っていかれてしまった。國分功一郎のやさしく厳しい感じがそのまま現れている。懇切丁寧に教えながら、あんた分かってないんじゃない?的なちょっと不敵な感じである。

 

 それに答えるためにはきちんとドゥルーズを読まねばならない。けれども、もっと満遍な知識が欲しいとも思う。だから、しばらくは他の入門書を読みたい。ドゥルーズ的発想ではないかもしれないが、今はドゥルーズの哲学よりも今は彼がそこに至った哲学史が知りたい。

 

 つぎは同シリーズのニーチェを手に入れてきた。これを読んでみようと思う。でもなんだか選書がラディカルな方向に偏ってきている気がしないでもない。でも、現代思想の主流ってなんだろう? 経済学的なヤツか? まぁ、気にすることもなかろう。現代においては哲学自体がラディカルなものなのだから。