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弁証法で考える問題解決‐問題を愛してやまないあなたへ

 やらなければいけないこと。やらされていること。やっておきたいこと。この社会に生きていると問題が山積みである。問題。問題ばかりだ。まず問題が多すぎるということが問題だ。 

 

 問題。問題を無くしたい。問題をなくすためにはどうすればよいか。問題の解決法を表すしかないだろう。ならばどんな問題の解決法があるか。こういうときは哲学に聞いてみよう。

 

1.問題解決のためにー哲学的弁証法

 では、哲学が問題を解決する際にはどういう方法があるのか。どうやら弁証法と言う方法があるようだ。弁証法とはどういうものか。ひとまずGoogle先生に聞いてみた。

 物の考え方の一つの型。形式論理学が、「AはAである」という同一律を基本に置き、「AでありかつAでない」という矛盾が起こればそれは偽だとするのに対し、矛盾を偽だとは決めつけず、物の対立・矛盾を通して、その統一により一層高い境地に進むという、運動・発展の姿において考える見方。

弁証法 - Google 検索

 弁証法を分かりやすく説明してみよう。例えば、ある問題を抱えた二人の人間が居るとする。二人は問題に際して意見が対立しておりどちらが正しいかを争っている。この場合どうやって二人の問題を解決するか。

 

 証拠? 多数決? 弁証法は第三者の意見を要請するのだ。弁証法は対立する二者をまとめた第三者の意見を与えることによって、問題を解消もしくは前進させる。もちろん第三者の意見を加えたところで問題が解決するとは限らない。

 

 けれども、第三者の意見を加えた問題は第四者の意見を加えることによって前進させることができる。第四者の意見は第五者の意見を加えることで前進させることができる。これを繰り返すことによって問題を絶えず前へと向わせることができる。これが弁証法的思考だ。

 

2.弁証法を当て嵌めると

 弁証法を当て嵌めると、問題を解決するためには問題に直面していない第三者が必要ということになる。問題が発生したら第三者を呼んで問題を前進させればいいのだ。だけどちょっと待って欲しい。現代人ならみんなこう思うはずだ。問題に際して第三者なんかを呼んだらもっと面倒なことになるんじゃないか。

 

 だから現代社会では、第三者に代わって法律が問題を解決することになっている。法律が問題を持つ二者の間に入り、定められた通りに問題の解決を行うことになっている。でも、ここに現代社会の問題があるのだ。

 

3.法律社会の問題点

 法律による問題の解決は第三者の視点から見れば、問題を解決したように見える。事実問題は解決したのだ。けれども、対立する二者にとって見れば、それは社会的な同意を得ただけである。問題は解決したことになってそこに置き留められたままだ。

 

 法律社会の問題点がここにある。法律は問題を解決しても弁証法のように問題を前進させてはくれないのだ。法律社会において問題を前進させようとすれば、法律そのものを前進させなければならない。けれども、法律社会において法律を前進させることは極めて困難だ。そうやすやすと法律を変えることはできない。

 

4.置き留められた問題は

 法律によって解決させられた問題は社会的同意によって所有者の元に置き留められる。結果として、私たちは問題に対峙したまま生活することになる。だから、私たちの周りの問題はいつまでたっても消えてくれない。問題は積もり積もってっていくばかりなのだ。

 

 でも、周りに問題が山積みであると嘆いている間はまだマシなのだ。私たちは問題がある風景に慣れすぎてしまうといつの間にか問題と同化してしまう。そのうち”問題を持った私”という承認欲求を満たして、問題に隷属してしまうのだ。

 

5.問題に隷属した私

 問題に隷属した私は次第に問題が前進することを拒むようになる。今ここにある問題こそが私のアイデンティティであるからだ。こうなってしまうと問題は動かせない問題となる。もはやそれを前進させることも後進させることもできない。

 

 そんな私のような”問題に隷属した個人”で形成されるのが、”問題を持った現代社会”である。私たちは問題をいつの間にか愛してしまっている。だから、問題がどこかに行ってしまう事を望まない。私たちの社会もまた問題に隷属しているのだ。

 

6.問題に隷属しないためには

  そんな負の連鎖を解消するためにはどうすればよいか。それは自分の近くに問題を留めておかないことだ。そのためには問題を絶えず推し進めていかなければならない。問題を推し進めるにはどうすればよいか。弁証法のように問題を第三者に投げてしまえばよいのだ。

 

 私から第三者へ。第三者から第四者へ、第四者から第五者へ、このように問題に隷属しない社会では問題は絶えず社会を回っていくことになる。社会を回っていく問題はそのたびに前進していくのだ。だから、あなたが問題を解決する必要は何処にも無い。

 

7.まとめ

 私たちはいつの間にか居付いた問題をペットのように愛してしまっている。”社会における私”を”問題を持っている私”と勘違いしてしまっている。問題を抱きしめて離さない。そんな行為が問題のある社会を生んでしまっている。

 

 問題は弁証法を進めるように第三者へ投げるべきものだ。そのように問題が回っていくのが本当の社会だ。だからさっさとその抱えている問題を誰かに渡してしまってほしい。一人でそれを抱え込む必要は何処にも無い。問題とは解決させるべきものではなくて、前進させるべきものなのだから。