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Baicaiの欠片

なんちゃっ哲学はじめました

テキトーに哲学史の話をしよう - 第10回 ストア学派‐エピクロス学派編

  西洋哲学史 (上巻) (岩波文庫 (33-636-1))

はじめに

 「哲学って何? 食べられるの?」っと哲学が一般に良く分からないモノとされている原因は、”今”に繋がる哲学史が一般に理解されていないからという気がします。なんちゃっ哲学を騙る当ブログではありますが、実は私もその辺は大昔に概論しかやっておりません。

 そこで哲学を知りたければ哲学史を学ぶのが一番だ! っと言うわけで、今日はちょっと初心に帰って哲学史をテキトーに学び直してみることにしようと思います。参考文献はたまたま手に入った『シュヴェーグラー西洋哲学史』です。

 

Q1.ストア学派の哲学とは?

ストア学派は哲学を実生活と極めて密接に結びつけた。彼らにとって哲学とは実践上の知恵を教える学、徳の練習、徳への予備校、倫理生活を律すべき諸原理に関する学である。

西洋哲学史 (上巻) (岩波文庫 (33-636-1))

「以前に紹介した、小ソクラテス学派の一つであるキュニコス学派の発展がストア学派です」

キュニコス学派というと”徳を重んじて、”善”を学ぶべし!”って言いながら、禁欲主義者みたいな方面に行っちゃった人たちか」

ストア学派は”善”以外を認めないキュニコス学派と違って、”善”の他にも”好ましいもの”を認めており、キュニコス学派が主張したほど禁欲的ではありません。しかし、世界を善と不善の二つにきっぱりと分けて考えており、完全な善であらねばならないとしている点はキュニコス学派に近いですね」

「なんか理想主義に近そうだね」

「そうですね。世界には善と悪の二者がいて、その中間のちょっとだけ善とか、ちょっとだけ悪、はたまた善悪入り混じる状態というものなど無いと考えていました」 

 

Q2.ストア学派の人たちはこう考えた

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/41/Zeno_of_Citium_pushkin.jpg/220px-Zeno_of_Citium_pushkin.jpgキティオンのゼノン ストア派 - Wikipedia

「万物の究極原理は”認識”である 」

「万物の究極原理は”認識”になりました」

「”イデア”、”質料と形相”ときて”認識”かぁ。なんか主観に返ってきたね」

ストア学派の主張する認識とはあくまで”客観的な認識”です。客観的認識が真理であり、主観的認識はまちがいであるとしています」

「主観的認識と客観的認識はどう違うのさ?」 

「客観的認識は主観的認識と違って”心に迫ってくる”そうです」

「なんだそりゃ」

「善行をして徳を積んだ賢者であれば、真理を理解しているので”心に迫る”認識がわかるようになる。そういうことでしょう」

 

Q3.ストア学派のまとめ

ストア学派の功績は、社会的衰滅の時代に道徳的理念を強く堅持したこと、および倫理学から政治的、民族的要素を分離して、最初にそれを政治から区別された独自の学問としてうちたてたことにある。

西洋哲学史 (上巻) (岩波文庫 (33-636-1))

ストア学派の主張を簡単にいうならば、”正しい認識を得るためには、善行をして徳を積まなければならない。正しい真理が理解できれば、すべてを自分で判断できる賢者になれる。すべての人間が賢者になることができれば、皆同じ判断を行うので争うこともなくなる”っという感じでしょうか」

「やっぱり理想論だね」

ストア学派の問題は、客観的認識を真理としながらも、その判断を”心に迫ってくる”っと主観的な部分に頼ってしまっている所にあります。結局客観を主張しながらも、主観から逃れることができていないですね」

「なんか”イデア”や”質料と形相”でなんか凄そうなところに行ってた真理が、”人間”や”理性”と同じ所に帰って来ちゃったね」

 

  

Q4.エピクロス学派の哲学とは?

エピクロスは哲学を概念と論証とによって幸福な生活を作り出す活動と呼んだ。

西洋哲学史 (上巻) (岩波文庫 (33-636-1))

エピクロス学派も以前に紹介した、小ソクラテス学派の一つである、キュレネ学派の発展といって良いでしょう」

キュレネ学派っていうと”人間”の究極目標は”快楽”である”って言ってた人たちか」

キュレネ学派の”快楽”では瞬間の快楽を求めますが、エピクロス学派の”快楽”では永続する快楽を重視しました。つまり、今は良くても将来マイナスになるような快楽は真の快楽ではないということです」

「なんか現実的な快楽主義者だね」

「そうですね。消極的な快楽主義といってもいいかもしれません」 

 

Q5.エピクロス学派の人たちはこう考えた

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4e/Epikur.jpg/220px-Epikur.jpgエピクロス - Wikipedia

「万物の究極原理は”幸福”である 」

「万物の究極原理は”幸福”になりました」

「”イデア”、”質料と形相”、”認識”ときてこっちは”幸福”ですか。なんかえらい身近になったような」

エピクロス学派は”徳”が価値を持っているのではない。それが幸福な生活をもたらすから価値があるのだと主張します」

「つまり、幸せになるために徳を勉強しよう!ってこと?」

「そうですね。エピクロス学派は真の幸福とは快であり、快とは苦痛や不快の無い状態であるとしています。だから、賢者の活動(哲学)とは不快を避けることだと主張しました」

「幸せになるために哲学をしよう! こう書くと素敵だね!!」

 

Q6.エピクロス学派のまとめ

エピクロスの学説はこのように、まったく主観的な努力に帰着し、それが人間の道徳的任務というようなことは少しも問題としない。しかしそれは、古代の快の概念を、できるかぎり高貴なものにしてはいるのである。

西洋哲学史 (上巻) (岩波文庫 (33-636-1))

エピクロス学派の主張を簡単にいうならば、”善行をして徳を積むのは、快を保つためである。っということです。逆に言えば、善行をして徳を積まなければ快を保つことができないということでもありますね」

ストア学派と比べるとこっちはやっぱり現実的だね」

エピクロス学派の主眼は幸福は平安であるという点につきます。これは衰退期に入り混乱するギリシアの世相を汲み取った発想であると言えるかもしれませんね」

 

 つづく

 

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