Baicaiの欠片

なんちゃっ哲学はじめました

読書をしてマイナスになる人たちへ

 皆さん年末年始はいかがお過ごしでしょうか。せっかくの休みだから本でも読もう!っと書籍を手に取る人も多いかもしれません。そこで今日は私がなんとなく感じている。せっかく時間をかけて読書をしたのにマイナスになってしまう。そんな人びとへのお話をしてみたいと思います。

 

 新年一発目からネガティブな話題もどーかと思いますが、浮かんでしまって書き始めてしまったので仕方がありません。

 

 まず初めに人は何故読書をするのでしょう? 娯楽のため? 教養のため? 仕事のため? 場合によっていろいろな答えがあるかと思います。

 

 まず、娯楽のために読書する方々へ。私からあなた方の読書について申し上げる点はありません。是非、楽しんで読書をして頂き、出版業界を潤して頂ければと思います。

 

 そして、教養のため、仕事のために読書をする方々へ。特に、社会人の、それもそろそろ中堅所に差し掛かるあたりの方々にお伝えしたい。あなた方が行う読書とは決して何かを得るばかりではないという点を忘れずに読書をして頂きたいと思います。

 

 まず、端的に申し上げますと、教養を得たくて読書をし、結果知識を得て不遜となる。そんな大人が社会には溢れている。私の短い経験の中ですがそのように感じます。

 

 「なんだそんなことか」と思われるかもしれませんが、この現象は性格や心がけでどうにかなるほど簡単なモノではありません。読書に限らず、人が知識を得るということは、人として素朴さを失うことでもあります。

 

 ですから、あなた方が知識を欲して行う読書という行為は、自ら進んで素朴さを捨て去る行為でもあるのです。そして、多くの人びとが例に漏れず、つまらない知識のために、人としての美徳を捨てているように思えます。

 

 知識をキチンと役立てるためにはそれなりの経験が必要です。本を読み、教養を積み、自らを律することができる人物が使って、ようやく彼の知識は他者の役に立つものです。一朝一夕に一冊の本を読んだ程度で身につくものではありません。

 

 そして、教養のため、仕事をために、と読書を行う人々は、得てしてその経験が足りません。彼らは却って得た知識を使うことで、ただただ不遜となるばかりです。

 

 ですから、私がここで申し上げたいのは、読書という行為は決してありがたがるものではないということです。それは地道に積み上げる下積み仕事的な行為です。人に強要する類のものでもありません。

 

 もちろん、私は教養を得るため、仕事に役立てるために読書を行う人びとを応援したいとは思います。でも、少しだけ気をつけてください。昨今の書籍の中には一冊ですべてを得られるような、危険な芳香を醸しだすものが多く存在します。

 

 そんな香りの中毒者のように、ただただ満足感を求め読書をし、そしてそれを人に行使する。そんな社会人的読書ゾンビとならぬようお気をつけください。だから、もう一度お伝えします。対価をなしに得るものはありません。

 

 あなたは読書を通して何を得て、何を失っているのか。そのことを頭の片隅に置きながら読書を経て教養を積んで頂ければと思います。せっかく費やしている読書の時間です。くれぐれもゾンビとならぬようお願い申し上げます。

 

 嘆かわしいことに昨今の書店からは書籍の香りがめっぽう薄くなりました。その変わりに店頭から漏れるあのカグワシイ匂いが私はめっぽう嫌いです。

 

 人それぞれに読むべき時に読むべき本があると。それをはずした読書は却って害になる場合もあると。そのように私は思います。人が一生のうちに出会う人はそれほど多くはありません。だから、あなたにとって本当に必要な書籍もそれほど多くはないはずです。

 

 教養のために、仕事のために、っと焦る必要はありません。今の世の中書籍はいつもあなたの手の届くところにあるのですから。