テキトーに哲学史の話をしよう - 第8回 プラトン-古アカデミア編
はじめに
「哲学って何? 食べられるの?」っと哲学が一般に良く分からないモノとされている原因は、”今”に繋がる哲学史が一般に理解されていないからという気がします。なんちゃっ哲学を騙る当ブログではありますが、実は私もその辺は大昔に概論しかやっておりません。
そこで哲学を知りたければ哲学史を学ぶのが一番だ! っと言うわけで、今日はちょっと初心に帰って哲学史をテキトーに学び直してみることにしようと思います。参考文献はたまたま手に入った『シュヴェーグラー西洋哲学史』です。
Q1.プラトンの哲学とは?
・プラトンは以前の哲学者たちに散在していた哲学の分肢を一つの全体に合一することによって、哲学の三部門、論理学と自然学と倫理学を得た。
「プラトンの一番の功績はそれまでの哲学をまとめて体系化させたことにあります。そして、哲学の三部門として論理学、自然学、倫理学を作り出しました」
「あれ? 論理学、自然学、倫理学って哲学なの??」
「現在はそれぞれ学問として独立していますが、この時代は全部をひっくるめて哲学でした。逆に言えばプラトンによって論理学、自然学、倫理学という学術分野が確立されたのです」
Q2.プラトンはこう考えた
「万物の究極原理は”イデア”からきている 」
「ソフィストは”人間”、ソクラテスは”理性”ときて、プラトンの究極原理は”イデア”となりました」
「なんじゃそりゃ?」
「例えばソフィストの説を取り入れて究極原理を”人間”とします。すると人間それぞれにその人の真理が存在することになってしまいます。私にもあなたにも私の真理がありあなたの真理がある。すると真理は人間によってバラバラになってしまう」
「あぁ、確かに」
「そこでソクラテスは”人間”の上に”理性”を置いて正しい真理の方向を示しました。人間の中の”理性”こそが正しい真理の方向を向いている。だから私達は”理性”を学び、”理性”が指し示す方向に従えばよいのです」
「おー、なるほど」
「でも、こんどは人によって理性が指し示す方向が違ってきます。あの人の理性はあっちが真理だというが、この人の理性はこっちが真理だといっている。また、収拾が付かなくなってきてしまいます」
「主観に真理を求めると結局そうなっちゃうよね」
「そこで、プラトンは理性の上に”イデア”という絶対真理を置くことで、理性の目指す方向を統一したのです。つまり、”イデア”という客観的真理が存在する。それを知るためには”理性”を学ぶことが必要で、そのためには人間であることが必要である」
「イデアが正解の目指すべきゴールですってことか!」
「正解=”イデア”→”理性”→”人間”という構図ですね」
Q3.プラトンのまとめ
「プラトンは一言では言い表せないくらい偉いおじさんなんですが、思い切ってまとめてしまうとこんなところでしょうか」
「要するに、物凄く沢山のことをきれいにまとめたおじさん?」
「そんな感じでしょうか。まとめたついでにその方向性を示して、今後の学問のあり方を決めたおじさんです」
Q4.古アカデミアの哲学とは?
・古アカデミアのうちには一人として創造的な精神は見出されない。わずかの進展以外にはプラトン的哲学思考の沈滞と退歩とがあるばかりである。
「プラトンの死後もその学校”アカデミア”が続きますが、残念ながらそこに特筆すべき偉人は現れなかったようです」
「プラトンの学校を継いだ弟子たちはダメダメだったと...」
「そこまでは言いきりませんが、そんな感じで参考文献には書かれていますね」
Q5.古アカデミアのまとめ
・この時代に高等教育を教える学校が次々設立された。
・博識であることが尊ばれた。
「資料がないので簡単に述べるとこんな感じでしょうか」
「ソフィスト、ソクラテス、プラトンとここまで流れよく来ていたのに、ピュタゴラスに戻っちゃったんだ…」
「現在の本流というべき哲学の流れは次に紹介するアリストテレスに繋がっていくことになります」
つづく
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