Baicaiの欠片

なんちゃっ哲学はじめました

ソクラテスと無知と知識の関係を考える

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はじめに

 利権の上に物知り顔で佇んでいるのが賢い生き方だ。どうも今の偉い人を見ているとそんな気がしてならない。そして、この処世術は広く認知されており老人から若者までそんな生き方を目指してこれを実行している。現代社会のなんとなく停滞しているような社会構造。その裏にはこんな発想が根を下ろしているように思える。

 

 ならば、本当に賢い生き方とはどのようなものだろう? ――「この世で一番賢いのはソクラテスです」大昔にある日突然そんな信託を受けたソクラテスという人間が居た。今日はそんな一番賢いソクラテスと”無知学の重要性を説いたNYT誌の記事”を追いかけながら、本当に賢い生き方を考えてみることにしよう。

 

  1.ソクラテス無知の知

 

――「この世で一番賢いのはソクラテスです」

 ある日、アポロンの神殿である日突然そんな信託が下ったらしい。そんな話を人づてに聞いたソクラテスは喜びもせずにこう思った。

 

――「そんなバカなことがあるはずがない!」

 でも、ソクラテスの時代に神殿の信託というのはほとんど絶対に近い。今の日本で言うならば天皇陛下のお言葉みたいなものだ。信託を信じられないソクラテスはその意味を求めて自分より賢い人を探す旅に出た。

 

――何で神様は自分が一番賢いなどというのか?

 とりあえず有名な偉い先生に聞いてみよう! ソクラテスは名だたる有名な先生の元を尋ねては賢いということについて質問をすることにした。

 

――偉い先生は沢山いるが皆自分が知識人であると思い込んでいる。

 偉い先生方はある特定の分野については雄弁だったが、ソクラテスが質問を重ねうちにみんな答えに詰まってしまう。結局旅のうちでソクラテスが捜し求めていた真の賢人に会うことはできなかった。

 

――自分が知らないということを一番良く知っているのは私自身であった。

 賢人探しの旅を諦めようとしたときソクラテスはハタと気がついた。世の中に賢人は多く居るが、自分が何も知らないことを一番良く知っているのは私自身であった。

 

――神様はこれを以ってソクラテスが一番賢いと告げたのだ!

 ”己の無知を知っていること”これこそが一番賢い人間である。だから、人に無知を教える必要がある。この発想からソクラテス的エロネイアや助産術が生まれるのであった。

 

 2.無知を教えることの大切さ

 

 ソクラテス無知の知の概観を語ったところで件の記事を追いかけてみよう。件の記事はニューヨーク・タイムズ誌に掲載された”無知を教えることの大切さ”という記事の概略翻訳だ。通読をお勧めするがここではさらに要約して紹介させて頂く。

 

――今の学生は無知を教えられていない。

 本来知識とは曖昧で不確定なものである。そんな知識の不確実性を理解しないままに進むと、学生たちは問いと答えの相互作用について勘違いしてしまうことになる。

 

――そもそも「答え」は「問い」を生じさせるものだ。

 例えるならば、知識の「島」のサイズが大きくなるにつれて、海岸線―知識と無知の境界線―も伸びていく。つまりわれわれの知識が増えれば増えるほど「問い」は増えるのだ。

 

――だから、無知への興味を呼び起こすことが重要である

 しかし、この知識の島の中央部というのは安全かつ安心できる場所であり、不確実から逃れようとして「島」の外側に向かうことを拒否してしまいがちだ。

 

――無知を問うことが新たな知識の獲得へと繋がるのである。

 学生たちが「知識の理論」の他に「無知の理論」を身に付けることができれば、さらに知的な意味で好奇心をもつことになるはずだ。

 

無知の知:知らないから学問は進化する : 地政学を英国で学んだ

 

  3.縦と横の知識の関係

 

 ソクラテスとNYT誌の”無知の知”を紹介した。この二つの記述はいわば過去と現在の無知に関する見解だ。両者とも”無知を知る”ことが更なる知識を呼び込むことになると語っている。つまり、賢人とは無知に学び、己の知識を広げようとする人のことを指す。

 

 しかしながら、私たちは普段”知識”をどのように認識しているだろう? 一般に”知識とは積み上げていくもの”と教えられていないだろうか。NYT誌の島の理論を採用するならば、島の中央に確固たるタワーを築くこと。それが私たちの知識人のイメージだ。

 

 この認識のギャップは何処から来ているのか? 仮に、積み上げていく知識を縦の知識、広がっていく知識を横の知識として考えてみよう。

 

 縦の知識とは普段私たちが学び修めている知識だ。この積みあがっていく知識は何かしらの担保の上に成り立っており、基本的には間違いがない、間違いがあってはいけないとされている。

 

 私たちは何故この縦の知識を学ぶのか? それは間違いのない共通見解を学ぶためだ。言い換えれば、他者の作った知識のルールに従いそれを覚えるということでもある。だから、この縦の知識を学ぶ際に無知は存在しない。

 

 一方、ソクラテスやNYT誌が言う横の知識とはどのようなものか。この横に広がっていく知識は絶えず無知に触れており、基本的には正解がなく、学び修めるところが存在しない。

 

 ソクラテスやNYT誌の記事では何故この横の知識を奨励するのか? それは真の知識への探究心を呼び覚ますためだ。言い換えるならば、私達は積極的に無知へ触れていき、知識の領土を増やしていくということだ。だから、この横の知識を学ぶ際に無知を避けては通れない。

 

  4.賢い生き方とは? 

 

 縦と横の知識の構造を理解したところで、いよいよ私たちにとっての賢い生き方を考えてみよう。知識とはどのようにして学ぶべきなのか。そして、生き方というからにはそれで生活して行かなければならない。

 

 まず前提として、知識は決してお金を生むものではない。お金を産むのは利権という立場だ。だから、私たちが社会へ参加するためにはまず縦の知識が必要となる。縦の知識を学ぶということは既存の枠組みに参加していくということだ。既存の枠組みに加わるということは既存の利権に与るということでもあるのだ。

 

 そして、社会に加わることができたならば、今度は横の知識が必要となる。横の知識を学ぶということは、既存の外の無知へ挑戦していくということだ。無知へ挑戦していくということは、新しい知識を獲得していくということでもある。

 

 以上から縦の知識とは既存のルールを学ぶこと。横の知識とは無知へ挑戦していくことであった。だから、賢い生き方とは第一に既存のルールを修め、第二に無知へ挑戦していき、新しい知識を獲得していくこと、ということになる。

 

  5.現代社会が窮屈なのは? 

 

 なんだか当たり前の結論に達してしまったが、まぁこんなものだろう。でも、今一度ソクラテスやNYT誌の記事を読みながら、ちょっと思い返してほしい。私たちはいつしか生活のために縦の知識ばかり有り難がって学んでいやしないか?

 

 いうなれば、縦の知識は自分のための知識だ。積み上げた知識は現代社会で利権を得て生活するための道具に過ぎない。そして、縦の知識に無知は存在しない。だから、縦の知識ばかりを修めた人は自分の知識を絶対と思い込み、既存の型にはまって発展性を失っていく。

 

 ここに専門家社会とでもいうべき現代社会のジレンマがあるように思う。知識は利権を絡めるとお金に換わるのだ。すると、お金に関わりやすい縦の知識ばかりが重宝されて、本来の知識というべき横の知識の存在を、無知への挑戦を忘れてしまう。

 

 結果として、私たちは知識の島の中央部にうず高いタワーを築き挙げ、そこから他者を見下して生活するような、利権の上に物知り顔で佇む賢い生き方を目指すようになってしまっているのだ。

 

 狭い土地に高層ビルが立ち並び、一部の権力者が利権を啜るようなステレオタイプの都会の社会構造は、私たちの頭の中でも同様に過密で窮屈な知識構造をつくり出していたのだ。これが現代の窮屈な人間像をつくり出しているといってもよいだろう。

 

  6.みんなでソクラテスになろう!

 

 こんな過密で窮屈な構造を打破するためには、”賢い生き方”を再検証するしかない。無知への挑戦、新たな土地への探検こそが過密を打破する手っ取り早い方法だ。当たり前な話ではあるが、私たちはやはり無知へ挑戦していかなければならないし、それを後押ししていかなければならない。

 

 そのためには、今重要視されている縦の知識への認識を改める必要があるだろう。縦の知識とは基礎的な知識の話であり、それを修めたからといって偉いものでも賢い生き方でもない。所謂人の飯の種であって、誇るべきものでも詮索すべきものでもない。

 

 本当に賢いのは横の知識へ挑戦する人たちであって、賢い生き方とは無知を解き明かしていく冒険者のような生き様を指すべきなのだ。そして、そんな人たちにこそ賞賛を送りたい。簡単のようだが、窮屈な社会構造に慣れきってしまった私達にこの構造を打破することは難しい。

 

 そのための第一歩として、私達一人一人が頭の中の構造だけでもを変えてみたい。島の中央部のタワーに潜む自称知識人を見上げてソクラテスみたいに言ってやろう。真の賢さとはどういうものかを。ソクラテスがエロネイアを用いてソフィスト達をたしなめたいに、ソクラテスになった気分で言ってやろう「私は誰が一番賢いかを知っているぞ!」ってね。

 

 そして、ソクラテスになった人なら分かるはずだ。本当に応援すべき賢い人がどういう人なのか。徳のある賢い生き方とはどういうものかを。 

 

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おしまい