読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Baicaiの欠片

なんちゃっ哲学はじめました

安保問題から考える - 大いなる複雑問題モンスター

  はじめに

 安全保障関連法が成立したようだ。当ブログでも書評『哲学の自然』の関係で”首相官邸前デモ"など、この法案問題に関する記事を書いたので、今日はこの問題と結果に対して一言申し上げておくことにしよう

http://png.clipart.me/previews/800/vector-cute-little-monster-6056.jpg

http://jp.clipart.me/vector-cute-little-monster-6056 より

 

   1.個人的見解

 

 まず始めに、私のこの法案に対する立ち位置を示しておくと「消極的賛成」というところだ。何はともあれとりあず、関係者の方々(反対派も含む)には「お疲れさまでした」っと労ってあげたい気分である。

 

 では、何故私が安保法案に対して「消極的賛成」という立場を取るのかというと、”この法案問題の本質を考えるとそれほど騒ぐようなものであるとは思えない”からだだから、この問題について意見を述べるならば「まぁ、良いんじゃない?」という程度の認識しか持ち合わせていない。

 

 こんなふうに書くと「まったく、政治に無関心な若者は…」などと言われてしまいそうだ。しかし、私はこの法案が持つ本質的な問題と、世間を賑わせているこの法案の問題はほとんど一致しないのではないだろうかと思っている。

 

 だから、私は反対する理由が乏しいので「消極的賛成」という立場を取らざるを得ない。むしろ、”この法案を巡ってこれだけ大騒ぎする今の社会構造の方がよほど問題であるのではないか”っとこのように思う。

 

 もちろん”世間を賑わせているこの法案の問題”については、個々に考える必要がある問題である。しかし、それは安保法案が持つ本質的問題とは必ずしも一致しない。今、安保問題で取り上げられる問題の多くは、その問題を主題として別々に考えるべき問題である。安保法案に便乗して考えるべき問題ではなのではないか。

 

   2.安保法案の本質を考える

 

 では、私のいう安保法案の問題の本質とはどういうものか? この法案の本質はおそらく「自衛隊にもう少し権限を与える」というものになるだろう。だから、この問題の本質は「自衛隊にもう少し権限を与えるべきか?否か?」このような問いになる。

 

 この問題の本質には「戦争」とか「憲法」とか「民主主義」の姿はこれっぽっちも存在しない。だから、この問いに答えるに際して、そのような言葉を付け足す必要は無いはずなのだ。ただ単純に「自衛隊に権限を与えても良いか? 否か?」を正面から論じればよい。

 

 この安保問題について「戦争に繋がる」「憲法違反である」「民主主義に反する」etc...。なるほど、これらの問いは極めて重要な問題である。だが、重要な問題であるからこそ、”戦争は戦争の問題を論じる際に”、”憲法憲法の問題を論じる際に”、”民主主義は民主主義の問題を論じる際に”論じるべき問題である。 こんな安保法案の”ついで”に論じるべき問題ではないのではないか?

 

 私は今の自衛隊にもう少し権限を与えることについては賛成である。そして、少なくとも自衛隊に権限を与えることで、”彼らが”戦争を引き起こしたり、”彼らが”憲法違反をしたり、”彼らが”民主主義を妨げることはないと思える。

 

   3.何故このような問題が論じられるのか?

 

 では、何故こんな単純な問題が大々的に報じられ、こんなにも世間を騒がせているのか。それは、上で挙げたような重要な問題が”ついでに”論じられているからだ。「自衛隊にもう少し権限を与えても良いか? 否か?」という問いに対して、「否。それは戦争を引き起こすからだ」「否。憲法違反だからだ」、「否。民主主義に反するからだ」と他の問題要素を付加して論じるのは詭弁であろう。少なくともこのような答え方はこの問いの本質を折り曲げてしまっている。

 

 それにもかかわらず、このような議論の方法があたりまえの行為となってしまっている。私たちは一つの問題を考えるに際して”ついでに”様々な問題を付け加えて議論していくことで、大いなる複雑問題モンスターを作成していると言える。このモンスターが誕生すると、複雑すぎて誰も解決策を提示することができない。そして、本来あったはずの問題の本質すら分からなくなってしまう。

 

 この問題モンスターこそが私たちの社会が抱える大きな問題の内の一つであろう。そして、この構図は安保問題に限った問題ではない。私たちの身近なところでも同じようにこの大いなる複雑問題モンスターは誕生し続けている。むしろ私たちはこのように問題をモンスター化させることで、問題そのものを有耶無耶にしているフシすらある。

 

   4.大いなる複雑問題モンスター

 

 それでは、こんなモンスターが生まれる原因は何だろうか? それは問題堰き止め型の社会構造にあるように思う。では、問題堰き止め型の社会構造とはどういうものか? 段階的に考察してみよう。

 

 第一に、私たちは普段の生活の中で問題を論じることを間接的に禁じられている。だから、安保問題のようにひとたび論じることを許されるような局面が現れると、溜めこんでいた問題を洪水のように噴出する。この洪水が大いなる複雑問題モンスターを作り出している。

 

 第二に、私たちは”ついでに”何かを行うことが習慣化してしまっている。”ついでに”この問題も考えなければならない! という便乗意識の習慣化がこの大いなる問題モンスターを作り出している。そして、厄介なことにこの便乗意識は問題を解決する際にも働いてしまう。

 

 今回の安保問題のように問題を半ば強引に解決させるような局面に際すると、私たちの中に「”ついでに”この問題も解決しなければならない!」という便乗意識が発生する。そして、それが習慣化した私たちは”ついでに”さまざまな問題を押し流して解決したことにしてしまう。そんな”ついでに解決”も私たちは習慣化させてしまっている。

 

 第三に、”大いなる複雑問題モンスター”と”ついでにの習慣化”によって私たちは解決しない問題に慣れてしまっている。だから、問題を見ない、論じない。そして、機会を見てトイレでも流すようにあらゆる問題を”ついでに”押し流してしまう。そんなやり方を当たり前にしてしまっている私たちはもはや疑う力をなくしてしまっているように思える。

 

    5.安保問題のこれから

 

 つい最近論じられた選挙権の引き下げ問題を思い出して欲しい。この問題も安保問題と同じように様々な別要素の問題が”ついでに”論じられ、結果として同じように可決された。私はこの決断自体にそれほど文句を言うつもりは無い。

  

 しかし、するとどうだろう? 最近になって飲酒年齢の引き下げや、少年法の引き下げなど、選挙権の引き下げの際に論じられた様々な別要素の問題がさして注目も議論もされないまま”ついでに”決断されようとしている。

 

 これらの問題は確かに”選挙権”の問題の際に”ついでに”議論をされていた。だから、これらの問題について今の問題堰き止め型社会は「その議論はもうやったでしょう?」と言わんばかりにこの問題を押し流そうとしている。

 

 しかし、ちょっと待って欲しい。当たり前ではあるが”選挙権”の問題と”飲酒年齢”や”少年法”の問題は別問題であり、それぞれ個別の議論が必要なはずだ。これらの問題は”ついで”の議論で押し流してよい問題ではない。

 そして、安保問題の今後にもこのような”ついで”の議論による押し流しが行われることが予想される。

 

    6.問題堰き止め型社会の負のループ

 

 逆説的ではあるが、このようなやり方がまかり通るからこそ、今の問題堰き止め型の社会はある問題に際して様々な問題を付け加えていき、大いなる複雑問題モンスターを誕生させているとも言える。

  

 そして、大いなる複雑問題モンスターが現れると、私たちは容易に解決できないこの面倒なモンスターを見ようとしない、論じない。そして、機会を見てそれを一気に押し流してしまう。

 

 そして、そんなふうに問題を押し流してしまえるからこそ、ある問題に際して”ついでに”様々な問題を付け加えていき、大いなる複雑問題モンスターを誕生させてしまう。今の問題堰き止め型社会はそんな負のループにはまり込んでいる。問題は積もり流れるばかりでまったく解決しない。

 

 だから、私たちはこのモンスターをつまびらかに解体して、一つ一つ問題の核の部分を明らかにしていく必要がある。そして、議論をただし問題の本質を一つ一つを解決していかねばならない。

 

 当然のことながら、容易に解決できない”大いなる複雑問題モンスター”などは始めから存在しない。それを作り上げているのはこんな私たちの社会構造なのだ。

 

    7.まとめ

 

 以上が私の安保問題に対するスタイルである。この問題の一番の問題は平和でも憲法でも民主主義でもない。”今の社会の中で問題の本質を考える行為”が足りていないことが、この問題をここまで大きく騒がしいものにしている。”大いなる複雑問題モンスター”を生んでいるその行為そのものが最も憂慮すべき問題であると。私はこのように思う。

 

 この問題は今のごちゃごちゃした民主主義の欠点であるようにも思える。社会には様々な考え方の視点が存在している。そして、その存在の数だけ問題が発生するといってもいいだろう。そんな多角度の問題を一様に解決しようとすると、大いなる複雑問題モンスターは生まれやすい。

 

 だから、今の社会に求められているのは多角度から無限に生まれる問題の本質を探り当てる力だろう。そのために私たちはまずその問題を疑っていかなければならない。不要に付加された複雑問題モンスターを解体し、議論の前にそれをただす必要がある。

 

 そのためには私たち一人ひとりが習慣化されたこの悪癖に気づき、一人ひとりがそれを打破していかなければならない。そんな自浄作用が今の私たちには欠けているように思う。

 

 物事の本質を考える。そんな能力が今の社会には致命的に欠けている。まずは、そのことを主張していかなければならないように思う。だから最後に哲学をちょっとばかりかじった者として、手前味噌ながら声を大にして叫ぼう「今の社会には哲学が欠けている!」「今の私たちには致命的なほど哲学が欠けている!」と。 

 

  おしまい

 

蛇足...

「なんだこれ? 長いくせに硬い…」

「久々に書くとこんなありさまです…」

「なんだか、”大いなる複雑問題モンスター”とい響きが気に入ってしまいました」