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Baicaiの欠片

なんちゃっ哲学はじめました

國分功一郎 「パリのデモから考える」を考える

「突然ですが、デモに参加したことはありますか?」

「無いかなぁ、なんかきな臭い感じがして…」

「今日は『哲学の自然』第三章へ入る前にちょっと寄り道をしたいと思います」

「あれ? 寄り道?」

「第三章は「デモと花火大会」という始まり方をするのですが、そこで國分先生がスタジオジブリの『熱風』というPR誌に寄稿したデモについての話が出てきます」

「おぉ! スタジオジブリのPR誌ってだけでなんか読んで見たくなるね!」

「その記事が國分先生のブログに再掲されていますので、今日はこれを読んでみましょう」

「なんだ、今日はちょっと面白そうじゃん!」

  

はじめに

「こちらが該当記事です」

「それじゃあ、ちょっと読んで来る!って気分で行くと結構長いね」

「チョロチョロ取り上げながら進めますので、面倒な方は読まなくてもかまいません。でも、いい記事なので通読をお勧めします」

ameblo.jp

  

Q1.デモって何してるの?

 デモが盛んな某国とはフランスである。静かな日曜の午後、時折、「ゴー」っと言う音が迫ってくることがある。「なんだ?」と思って窓を開くと広場に厖大な数の人が集まっている。デモである。

「筆者はフランス留学中の体験談として、そこで見てきたデモを語り始めます」

「静かな日曜の午後、窓開けたらデモである…って日曜日ダイナシじゃん!」 

「でも、実はそうでもないようなのです」

 

 さて、デモが来たなと思うと、だいたい見に行く。パリのデモを見て最初驚いたのは、ほとんどの人が、ただ歩いているだけだということである。横断幕を持ってシュプレヒコールを挙げている熱心な人もたくさんいる。

 しかし、それは一部である。多くはお喋りをしながら歩いているだけ。しかもデモの日には屋台が出るので、ホットドッグやサンドイッチ、焼き鳥みたいなものなどを食べている人も多い。

「......何かお祭みたいだね。楽しそう!」

「筆者も「デモが来るとだいたい見に行く」と書かれているように、部外者から見ても「お、やってるやってる!」的な楽しみ所があるようですね」

「でも、そんなデモってデモをする意味あるの??」

 

Q2.デモをする意味とは?

 大量の人間が集まるだけで「今は体制に従っているけど、いつどうなるか分からないからな。お前ら調子に乗るなよ」というメッセージが発せられることになる。

 多くの人はなんとなく集まっているだけである。だが、彼らが集まってそこを行進しているという事実そのものが、そういうメッセージを発せずにはおかないのだ。

「デモの権利を認めてやるよ」と言っている体制の顔は少々引きつっていて、実は、脇に汗をかいている。

「デモのテーマに関わらず、人が集って群集となることに意味があるのです」

「要するに、一杯人が居るだけでなんか怖いと…?」

「体制側からすると怖いでしょうね。それを選挙として考えてみれば、目の前の集団全部が敵票の塊みたいなものですから。「お前らこのままじゃ次は投票しねーぞ!」と言いわれているような感じですかね?」

 

 日本の脱原発デモについて、何度かこんな話を聞いた。デモに来ている人たちは原発のことを理解していない。彼らは何も分かっていない。お祭り騒ぎがしたいだけだ、と。

 先に紹介したパリでの経験を踏まえて、私はそういうことを言う人たちに真っ向から反対したい。

「テレビなんかでデモを見るけど、なんか騒ぎたい若者が騒いでる!って感じの報道のされ方をしているよね。あんまりかっこよくは撮ってくれない」

「でも、筆者はそれでいいのだと言うわけです」

 

 デモのテーマになっている事柄に参加者は深い理解を持たねばならないなどと主張する人はデモの本質を見誤っている。もちろん、デモにはテーマがあるから当然メッセージをもっている(戦争反対、脱原発…)。

 しかし、デモの本質はむしろ、その存在がメッセージになるという事実、いわば、そのメタ・メッセージ(「いつまでも従っていると思うなよ」)にこそある。

「個人的には、ここで述べられる他に”肯定するデモ”と言うのがあってもいいと思います。最近は首相前官邸デモが話題ですが、首相前肯定デモという「がんばれよ!応援してるぜ!」ってデモがあっても良いかなとも思いますね」

「まぁ、外で喧嘩が始まると困るんだけどね」

 

 フランス人の発想では、ストライキというのは働かないことなのだから、家でビールでも飲みながらダラダラしていればよいのである。私はこの発想が好きだ。

 デモも同じである。デモにおいて「働く」必要はない。高い意識を持ってシュプレヒコールを挙げたり、横断幕を用意したりしなくていい。団子でも食いながら喋っていればいい。ただ歩いていればいい。なぜなら、単に群衆が現れることこそが重要だからだ。

「このように筆者はデモについてまとめています。この先に「なぜ日本ではデモに人が集まらないのか」というちょっと小難しい考察が続きますが、ここでは省略します」

「逆に言うと、日本人も気軽にだらだらとデモに参加すればよいのに!ってことだね」

「そのあたりは『哲学の自然』でも新しいデモのスタイルとして語られます。件の記事からは以上です。ここからは私の体験談を含め、ちょっとデモについて考察してみたいと思います」

 

Q3.個人的に日本のデモの理想の姿を考えてみる

http://www.asahi.com/special/10005/images/SEB201106110036.jpg

www.asahi.com

「私も反原発デモを反対側に眺めて歩いたことがあるんですが、正直あんまり楽しそうではないんですよね。「お!やってるやってる!俺も混ざろうかなぁ?」とは思えませんでした」

「日本でやってるデモって、なんかものすごく管理されてる感じがあるよね。行列に横入りしてはいけません的な」

「傍観者としてみると、デモを行う側にも確固たる体制があるように見えるんです。件の記事通りに捉えるならば、反体制としての集団デモなのにデモを行う側にも体制を感じる。そこに筆者が語ったパリのデモのようなおおらかさを感じないのです」

 

www.huffingtonpost.jp

「某所でこの記事に取り上げられているような人びとを「やばいですよこの人たち。公安にマークされますよ!(笑)」なんて意見も聞きました。半分は冗談でしょうけれども」

「まだまだ、日本人にとって政治っていうのは生活から遠く離れたモノだよね」

「だから、いざそれに参加する!となると大仰にならざるを得ない。生活を捨て鎧兜を着て「デモに行ってくる!」「無事に帰ってきてね...」的な感覚が根強くあるのは私だけでしょうか?」

  

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/4b/4a209ed2e273fcbf2410143d374fc18d.jpg

西武ドームは見にくい - CLUB103 (103系電車好きの独り言) より

「私が思い描く日本的なデモの理想の姿ってこれなんですよね」

「野球の応援ですか!?」

「別にサッカーでも何でもいいんですが、チケット買えば誰でも入れて敵味方に分かれてワイワイやって、終わったらあーだこーだいいながら行儀良く帰っていく。デモに必ずしも敵味方を用意する必要はありませんけれども、敵も敵として許容しちゃうみたいな?」

「スポーツに政治を持ち込むな!とは言うけれど、スポーツ観戦のやり方で政治を観戦してみようっていうわけ?」

「一度スタジアムで公開国会でもやってくれませんかね? ○○党応援席とか作って、そこで私たちはビールでも飲みながら国会審議を観戦するわけですよ。政治がすごく身近になりそうなのですが」

「おもしろそうだけど、そのチケット買って見に来る人が動員されそうなんですが……」

「そういうところが日本の政治の闇ですよねぇ……」

 

おしまい

 

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