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Baicaiの欠片

なんちゃっ哲学はじめました

中国哲学と西洋哲学の違い -「自分はもういい歳だ」と感じたら

  今日は中国哲学と西洋哲学の違いでも語ってみよう。これは機会があればキチンとまとめてみたかったことでもある。

http://www.wirtschaftsforum.de/media/inhalt/artikel/768x384/handelsstreit_eu_china.jpg

  

 はじめに

 私は、学生時代に中国哲学を専攻していた。当然西洋哲学にも興味があったので、受講可能な何コマかを受講した。そうして、双方の教鞭をとる数名の教授を比較して思ったのだ。西洋哲学の先生はまず”普通”じゃない。一方の中国哲学の先生は比較的”まとも”に見える。そんな傾向があると。

 

 だから、卒業時に私は思った「あ、俺中国哲学を選んでおいてよかった!」 こんなことを書くと、哲学を標榜する本ブログの読者のほとんどを敵に回してしまいそうだが、これは紛れも無い事実だ! ついでに言うと、西洋哲学の講義においては”普通”じゃない教授のほうが面白い。

  

 おそらく、哲学に興味があってこんなブログに来て頂いている方は、当然これが褒め言葉であることを理解して頂けるとは思う。その上で両者の哲学概念の違いを私なりにまとめてみた。

 

 中国哲学と西洋哲学の違い

 中国哲学と西洋哲学。両者の違いを一言で言うならばこうだ。

西洋哲学とは「よく生きるための学問」である。

中国哲学とは「よく老いるための学問」である。

  

 西洋哲学はソクラテス的な問いかけと、絶対真理の探究がその基礎にある。そこには前へ前へと勢いよく進む姿勢がある。この姿勢が新たな発見や人類の進歩を後押ししてきた。

 中国哲学は「私が良くあれば、周りも良く変わる」という概念が基礎にある。この概念は中国哲学に”常に待ち受ける”姿勢を取らせている。この姿勢と”儒教”が社会体制に組み込まれてきた歴史が、今日の中国哲学を魅力的と思えないものにしている。

 

 若者とオッサンへ 

 西洋哲学は常に未来を向いている。その期待は若者へと向けられている。しかしながら、西洋哲学は若者に期待すると共に、しばしばそれを彼らに強要してきた。

 中国哲学は常に過去を振り返る。その期待は老人へと向けられている。しかしながら、中国哲学は老人に期待すると共に、常々それを若者にも強要もしてきた。

 

 私は若者に「中国哲学を学ぼう!」なんてことを言うつもりはさらさら無い。逆に「これは若者のための学問ではない!」そう言い切っても良い。若者は西洋哲学を学び、前を向いて道を切り開いて行くべきだ。だから、若者に中国哲学を強要するヤツがいたら飛んでいって殴ってやっても良い。

 

 しかし、「もうそろそろいい歳だよなぁ」と感じている世のオッサンたちへ! ”良く老いるための学問”である中国哲学は、貴方達を常に待ち受けている。私たち中国哲学は貴方達のこれからに期待しているのだ! 私たちはきっと貴方を素敵な老人へ導こうと努力する。私たちが持っているのはそういう学問なのだ。

 

 まとめ

 中国哲学がその長い歴史の中で若者に強要され続け、見苦しい姿を晒してきたのは事実だ。だが、西洋哲学を修めた老人が、自らの哲学を若者に強要する姿も同じように見苦しいものでもある。

 若者は自ら未来へ。老人は過去から今を。この二つの視点で世界のあるべき姿を考えてみてはどうだろうか。きっと今よりももっと世界は広く、住み易いものになるはずだ。

 だから、「自分ももういい歳だなぁ」と感じたなら、ちょっとこっちへも来てみてほしい。いつでも私たちは、貴方の訪れを穏やかに待ち続けている。

https://nialljoreilly.files.wordpress.com/2013/01/china-europe.jpg

イメージ画像は Studie zum Solarstreit zwischen EU und China: Strafzölle schaden der Wirtschaft und vernichten Arbeitsplätze | Wirtschaftsforum より拝借しました。

 

蛇足…。

最近私の中で、老子ハイデッガーが繋がってきたりしていて面白い。これもいつか考証してみたいものだ。