日本人の死生観をテキトーに考える - 神道編
まだまだ暑い盛りではございますが、道端に蝉の屍骸が転がって、赤とんぼでも見たら夏も終わりかなぁなんてを感じる今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか? なんちゃっ哲学を語る当ブログ。今日はお盆スペシャル最終回と題して、日本人の死生観をテキトーに考えてみたいと思います。題して「人間、死んだらどーなるの? 神道編」
最終回の今日は「神道編」ということで、神道の死生観をテキトーに語りたいと思います。やっと”日本人”の死生観に近づきました。今回は今まで以上に参考文献などがございません! 独自解釈てんこ盛り。過ち誤謬なんでもござれ!の気概を持ってお盆の新解釈をテキトーに語ります。(※専門的なページはいくらでもあるので、神道の真理が知りたい人はそちらをどうぞ。)
Q.1
「仏教、儒教、道教ときて、神道編です。やっと日本に帰ってきました! 」
「ほんと、ずいぶん遠回りしてきたね…」
Q.2
「神道編ですけれど、これまでの流れでお分かりになった方もいらっしゃるかと思いますが、私、元々は中国哲学系が専攻でした。なので今日はちょっと知識不足というか、独自解釈、創作の部分が多くなることをご了承ください」
「あれ? いつになく弱気じゃない?」
Q.3
「まぁ、それだけ参考文献や知識が怪しいってことです。まぁ、話半分に聞いてみてください」
「あいあい、そいじゃ今日はパパっとお願いします」
Q.4
「これまでのお話で、お盆にご先祖が帰って来る!ってのは儒教の風習が一番近い。と言うのが分かっていただけたかと思います。 」
「儒教は魂がそのまま現世に残るんだもんね」
Q.5
「それでは、神道はどうなんだろうっと思うわけです。神道では人は死んだらどうなるか知ってます? 」
「普通、お葬式ってお寺でやるからなんか仏教的な想像しかできないね?」
Q.6
「日本神話的には人は死ぬと”黄泉の国”というところにいくわけですね。まぁ、仏教的にいうと地獄みたいな所です」
「あー、なんか聞いたことあるわ」
Q.7
「有名な話では、イザナギが死んでしまった妻イザナミを探して黄泉の国とつながっている黄泉比良坂という坂を通ってイザナミに会いに行くお話しがあります」
「地獄までも追いかけて行っちゃう! OH!LOVE☆ロマンス!」
Q.8
「けれども、黄泉の国でイザナミは化け物みたいな姿になってしまっていて、イザナギは大慌てで逃げ帰るわけですが…」
「だめだめじゃん!」
Q.9
「そんな感じで、神道では人が死ぬと黄泉の国へ行くことになっています。」
「それじゃあ、名前が違うだけで仏教とあんまり変わらない?」
Q.10
「ここで注目して欲しいのは、”黄泉の国は黄泉比良坂という坂で現世と繋がっている”という点なんですね 」
「あー、会いに行って逃げ帰ってきたり出来ちゃうわけだもんね」
Q.11
「そうなんです。神道では非常に生と死の世界が近いんです」
「じゃあ、お盆になるとあっさり帰ってこれちゃう?」
Q.12
「かもしれません。でも、ここでちょっと異説を唱えてみたいと思います。かなり私の創作が入った解釈になりますので、注意してください」
「創作話ですか」
Q.13
「実は黄泉比良坂、または比良坂、地獄坂とか所謂、あの世に繋がっているとされる地名って結構日本中にあるんですね」
「ふむふむ」
Q.14
「それで、その坂の先には元処刑場があったり、所謂禁足地であったりする場合があるんです。もちろん何も無い場合がほとんどなんですが…。坂の上にあるってのは一致した条件です。つまり黄泉の国は山の中にある」
「オカルト話っぽくなってきたな」
Q.15
「ここでいきなりですが『姥捨て山』というお話をご存知ですか?」
「あー、働けなくなった老人を山に捨てに行けって命令される昔話ね」
Q.16
「昔話ですから実際にこういうことがあったかどうか分からないんですが、個人的には実際に行われていたんじゃないかなと思うんですよ」
「えぇ! そんなひどい!!」
Q.17
「ただし、”棄老”という悪い意味ではなくてですね。一般農民の知恵と言いますか、良い意味で行われていたんじゃないかなぁと思うんですね」
「良い意味の姥捨て??」
Q.18
「古代日本の租税制度なんですが、租庸調とかご存知ですか?」
「あー、なんか日本史でやったようなやらなかったような」
Q.19
「まぁ、所謂税金ですね。これは国だけではなく、その地方の神社仏閣や豪族などに収めるものなども含めて考えてください。その計算方法はさまざまだったようですが、その中に”人頭税”つまり、一人このぐらい納めなさいみたいな制度があるわけです」
「なんか、古代は収奪感が激しいイメージがあるね」
Q.20
「そうすると、あまり元気に働けなくなった老人は”人頭税”を払うのが辛くなってきます 」
「搾取される農民!」
Q.21
「そこで、農民側は”姥捨て”として戸籍上は死んだことにして、税金逃れみたいなことをやっていたのではないかなと思うんですね」
「脱税ですか! でも、山へ捨てられちゃって結局死んじゃったら悲しいお話だよ!」
Q.22
「その辺も案外そうでもなかったんじゃないかなっと思うんです。実際に自分が老人になって山に捨てられたらどうします? そのままそこで諦めて死ねます? 何もせず飢えて死ぬんですか? 獣に襲われて死ぬんですか??」
「当然、なんとか生きようとするよね…。」
Q.23
「ここで、他の昔話を思い出して欲しいんです。桃太郎でも竹取物語でも。「昔々あるところに…おじいさんとおばあさんが…。」っと始まりますよね?」
「たしかに、そんなお話が多いね」
Q.24
「でも、よく考えたら変じゃありません? 核家族化した現代じゃないんですから、おじいさんとおばあさんしか居ない家って、普通やっていけないじゃないですか」
「その辺は苦しいなりにがんばってたとか…」
Q.25
「ここで”姥捨て伝説”を合わせて考えてみてください。”人頭税”を払えなくなった老人を”姥捨て”として山へ連れて行く。老人たちは山の隠れ里で集って暮らす。だから、おじいさんとおばあさんしかいない家が普通に沢山ある。こんな風に考えられませんか?」
「たしかに、言われてみれば「え?こんなところに!?」っていう古い集落って結構あるよね」
Q.26
「そして、昔話でおじいさんとおばあさんって何してましたっけ?」
「えーっと、おじいさんは芝刈りに、おばあさんは洗濯に?」
Q.27
「そんなかんじです。大体そういう山村集落では、炭焼きなんかが主な産業になることが多いですね。動物狩るマタギ的な集落もありますが…。」
「それがどうかしたの?」
Q.28
「ここで一番最初のお盆の話題に戻ります。お盆に精霊馬に乗ってご先祖が帰って来る。これって隠れ里からおじいちゃんおばあちゃんが普通に会いに来てた。または子孫が会いに行ってたって説は強引でしょうか?」
「ただの里帰りやん!」
Q.29
「精霊馬ってのも変なんですよ。一般の農民のご先祖が使うのに、なんのために馬や牛を用意するんでしょう? 乗馬って高等技術ですし、牛も牛車でも無いと乗れませんよ?」
「まぁ、そのへんは魂だから…?」
Q.30
「これって、農耕馬や農耕牛だったんじゃないかなって思うんです。そして、お盆の時期に隠れ里に祖父母を迎えにいくわけですよ。当然乗り物ではありません。生活物資を積んでいくわけです」
「精霊馬はただの物資運搬用ですか」
Q.31
「そして、帰りは隠れ里の名産品である炭とかを積んで帰って来る。古代日本のお盆ってこういうイベントだったんじゃないかなと想像しているんですが、皆さんどうでしょう?」
「まぁ、言いたいことはわかるけど、根拠となる資料とかないと難しいよね」
Q.32
「う、痛いところを突きますね。私自身こっち系を主に研究していたわけじゃないので、どっかで着想を得ているはずなんですよ。柳田國男あたりかなんか民俗学系だと思うんですが、案外マンガとかだったりする可能性もあります…」
「その辺は、あんまり覚えてないっと…」
「スイマセン、詳しい方が居たら教えていただきたいです」
Q.33
「とりあえずまとめますと、お盆というイベントは里帰りして祖父母親戚に会いに行くってのが、正しい姿ではないのかなと思うわけです。お土産かついでね。もちろん墓参りも重要なんですが」
「なるほどねー」
Q.34
「以上! 近年の日本では年金目当てに、戸籍上生きている死人が一杯居るみたいですが、古代ではその逆で、戸籍上死んでるけど生きてる人が結構居たんじゃないか?「これが姥捨て山とお盆の里帰りって風習じゃないの?」ってお話しでした。如何だったでしょうか?」
「なかなか面白かったけれど、神道アンマ関係ないよね?」
Q.35
「イザナギとか!イザナミとか!黄泉の国とか!黄泉比良坂とか! ハイ、たしかに、神道はコジツケです」
「最終回なのにこんなのでいいのかなぁ?」
おしまい!
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