日本人の死生観をテキトーに考える - 道教編
やっぱり中国哲学系の話って皆あんまり興味が無いのかなぁ? なんて思ったりしてる今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか? なんちゃっ哲学を語る当ブログ。とりあえず、そんなことは気にしないで、今日もお盆スペシャルと題して、日本人の死生観をテキトーに考えてみたいと思います。題して「人間、死んだらどーなるの? 道教編」
第三回の今日は「道教編」ということで、道教の死生観をテキトーに語りたいと思います。今回も参考文献などは一切ございません!(実は毎回あるっちゃあるんですが手元にその本が無かったりで記憶頼りなのです) 過ち誤謬なんでもござれ!の気概を持ってテキトーに語ります。(※専門的なページはいくらでもあるので、道教の真理が知りたい人はそちらをどうぞ。)
Q.1
「さて、仏教、儒教ときたら、道教です。道教的発想でお盆は解釈できるのか? 」
「道教ってあれでしょう? 不老長寿の仙人になっちゃうヤツ」
Q.2
「あら、よく知っていますね。前の仁義無き戦いの話でもちょっとあげましたけれど」
「封神演義とかマンガで読んだからね!」
Q.3
「なるほど、確かにあれは仙人バトルのお話ですね。あのマンガだと仙人も死んで?魂みたいのになってましたけれども」
「そういえば、そうだね。やっぱ、仙人も死ぬのかな?」
Q.4
「まぁ、まず、仙人になるのが大変ですからねぇ。その仙人がどうなったって話はあんまり聴かない上に、あっても首だけ飛んでったとか、相手を呪い殺したとか、仙界に居るとか、大抵ファンタジーなところに落ち着きますね 」
「結局のところ道教の死生観なんてあるの?」
Q.5
「まぁ、簡単に言ってしまうと、不老長生を目指したものなので死なないってことになるんですが... 」
「じゃあ、お盆にフツーに帰ってこれちゃうわけか」
Q.6
「もし仙人のご先祖が居たら、「おぅ!久しぶり!元気?」なんて普通に帰って来るかもしれません。」
「なんか、お盆のテーマとかけ離れちゃうね」
Q.7
「ここからはちょっと個人的な解釈になってしまうんですが、私の感覚では原始道教って原始儒教と同じなんですよ 」
「え? そうなの?」
Q.8
「『老子』や『論語』を比べて読むと、解釈は違えども同じ概念の言葉が沢山出てきますし、元々似たような古代風習を元に、解釈の違いによってだんだんと分かれていった思想だと思います。」
「同じ親を持つ兄弟みたいな関係ってこと?」
Q.9
「そんな感じです。だから冒頭の封神演義でも仙人が死んで魂が飛んでいっても違和感が無いでしょう? 魂が肉体を離れてそのまま生きているっていうのは儒教の死生観ですから」
「じゃあ、今日のお話はこれでおしまい?」
Q.10
「テーマ的にはおしまいですねぇ…。でも、せっかくなので仙人の不老長寿の秘密でも探ってみましょうか。 」
「えー、今日はこれで終わりじゃないのかぁ」
Q.11
「一般に道家思想というと”老子”と”荘子”があげられますが、この本自体に不老長寿の仙人という概念は出てきません。特に元祖とされる”老子”は上手く国を治める術を書いた政治の本です」
「え? そうなの?」
Q.12
「無為自然、小国寡民というのがその政治スタイルなんですが、要するに小さな村を治める村長の様に国を治めなさいってことですね。個人的には現代のお偉いさんに非常に読んで頂きたい本なんです。」
「もう、死生観関係ないなぁ」
Q.13
「それがいつの間にか不老不死とか仙人とか、儒教VS道教みたいな形に変化していきます。これは何でこんなことになったかと言うとちょっと長くなるんですが… 」
「ふむふむ」
Q.14
「まず、儒教の祖、孔子の功績として最も大きいのは私塾の開祖であるって点なんですよ」
Q.15
「儒教の話です。私塾の開祖って言うのは要するに、私立学校を初めて作った人ってことです。これによって身分の貴賎を問わず、学問を行えるようになったんですね。それまでは国の役人学校みたいなのしかなかったので」
「なるほど」
Q.16
「そうするとそこから優秀な人が出てきて活躍します。国も優秀な人材は欲しいですから儒学校の学生を登用するようになってきます。そんな感じで儒教は国政にからんで発展していくんです。」
「おぉ、儒教すごい!」
Q.17
「一方、本日のテーマの道教なんですが、こちらは民間習俗と強く結びついていきます。地方の詩歌や風俗、民間信仰などと混ざっていくんですね。”荘子”を読むと分かるんですが、非常に表現が詩的です」
「道教はなんか身近な感じになっていくのかぁ」
Q.18
「そういう意味では、日本の神道に近いかもしれません。」
「意識はしてないけど、なんか通じてるみたいな?」
Q.19
「その一方で、儒教は国教化され科挙の科目になるなど、国政の儒教化が進んでいくわけですね。そうすると、儒教を学んだけれど役人になれなかった人、役人になれたけどドロドロした政治闘争に嫌気が差した人なども出てきます 」
「なんか急に、現実感が出てきたな…」
Q.20
「そういう、元儒学者のインテリが儒教を捨てて、道教を学び発展させていったりします。これがいわゆる道家思想というやつですね。儒教と決別した彼らは思想的に次第に儒家思想と対立していきます。 」
Q.21
「その対立に関するお話なんですが、先の儒教のお話で魂は水辺や谷に良く集るって話をしたじゃないですか。」
「あー、あったね。良い魂はそういうところが好きだって」
Q.22
「ここでちょっと、仙人のモデルを想像してみてもらえます?」
「仙人のモデル? えーっと、不老長寿で、人里離れた山に住んでて、霞を食べて生きていて...」
Q.23
「そう、ソコです! 「仙人は山の中で霞を食べて生きている」これって儒教の死生観から考えると、仙人は人里離れた山の中で”人の魂”を食らって生きているって解釈できません?」
「あー、そういわれると、鬼や物の怪みたいだね」
Q.24
「この仙人像って現代では水墨画や仙人図で美化されてますけれど、個人的には儒教側の道教に対する悪口だったんじゃないかって思うんですよ」
「仙人=人外の畜生化け物ってことかぁ」
Q.25
「そんな感じです。それじゃあ、最後に人外畜生の仙人が為した功罪を述べて、道教の話を終わりましょうか」
「もう、ホントお盆関係ないなぁ」
Q.26
「仙人が何故不老長寿と言われたかっていうところなんですが、道教を信仰する人間っていうのは、普通の民間信仰としてもありますが、極論を言えば、先に述べたとおり儒教社会でやっていけなくなった世捨て人とかそういう人たちが多かった訳です。」
「それが仙人の功罪となんか関係あるの?」
Q.27
「世捨て人は人里離れて自給自足で暮らすので、食べ物とかいろいろ困るわけです。だから、その辺の野草とか、野生動物とか魚とかを採って食べるサバイバーな生活をすることになります」
「......なんか仙人のイメージ台無しなんですが」
Q.28
「そんな生活をしていると、あるとき彼らは見つけちゃうわけです。食べると気持ちよくなるキノコとか、植物の実とか、乾燥させて煙を吸うとほんとに仙人になれちゃう草とか!」
「ちょっと、あかん! それあかんって!!」
Q.29
「所謂、仙丹とか呼ばれる薬はこうして生まれます。ちなみに仙丹の作りかたは『抱朴子』という本に書いてありますので、興味がある方はご一読ください」
「ダメ!絶対!!」
中国の薬屋?のサイトより なんか変な自動リンクがあるのでURLは省略しておきます。
Q.30
「ちなみに、中国の南北朝時代にこの仙丹「五石散」が流行して、役人、知識人から国王に至るまで、みんな仙人の真似事をするのがカッコイイ!とされた時代もありました。阿片といい文化背景的にこの国の人はこういうのが好きなんですね」
「ダメ!絶対!!」
Q.31
「さて、仙人の罪の部分のほうがエピソード的に面白いので大げさに書きましたが、功の部分もキチンと紹介しましょう。仙人様は気持ちよくなる草!を発見しているわけですから、当然ホントに身体に良い草等も発見しています」
「ダメ!絶対!!ってあれ?」
Q.32
「時々、流行り病でバタバタと人が死んでいく村に仙人がやってきて、仙薬を施すとたちまちみんな元気になった! みたいなお話があるでしょう?」
「あー、結構よく聞くね」
Q.33
「彼らは麻薬も作り出しましたが、同時にキチンと仙薬も作り出しているのです。これが今に伝わる漢方薬の基礎だと言われています。現在も大いに活躍している仙人の知恵ですね。」
「おー、やっぱ仙人すごいじゃない!」
Q.34
「おそらく、不老長寿が跡付けされた背景には、こういう仙人の薬学的な知識が関連しているのだと思います。ちょっと話がそれてしまいましたが、以上で道教の死生観を終わりにしますね」
「話は逸れたけど、四千年の知恵は伊達じゃないってことね!!」
おしまい(だと思う?)続いちゃうんだなぁ
蛇足…
「多分、中国哲学系への興味が無いと言うよりは記事内容とアンタの書き方の問題でしょ!」
別件ですが『哲学と自然』のレジュメが出来ました。総文字数約27,000字さあこれをどうやってまとめてやろうか…。
過去の記事はこちら
おまけ