ブログはどこへ行くのか?-インターネットの今を考える
はじめに
ちょっと前の日記でブログの印象を下記のように書いた。このブログ論のようなものの続きもいつか書こうと思っていたのだが、他ブログを読んでいて、取っ掛かりを得てしまった。人気ブログに便乗するような形で申し訳ないが、書きたくなってしまったので、書いてみることにする。 極論をいえば、「インターネットという情報発信ツールは既に陳腐化/娯楽化してしまったのではないか?」ということだ。
ブログ層も印象とはちょっと違った。日記もあれば、論文顔負けの記事もある。いわゆる炎上の現場も見た。身も蓋も無い言い方だけれども、まぁ普通の社会だ。どこに住むかという問題を考える必要がある。ただ、ここでは誰でも叫ぶことが許されている。
言うならば感情(観念)を文章(物質)化できる場所だ。いい時代になったと思いつつ、それが無かった時代も思ってみる。これが無かった人々はどのようにして観念を物質化していたのか。
「友人とのおしゃべり」これは今でもある。「雑誌等への投書」なるほど減少傾向だ。「日記」これの代替がブログか? 要因はいろいろありそうだが、本ブログはこの三要因の代替だろうか? なんだか独り言の域を超えてきた。今日の所はここで切り上げよう。
以上のように、前回はあまり深く考えずに切り上げた。今回はもうちょっと掘り下げて考えてみたいと思う。
1.ブログ誕生の歴史
ブログはいつ頃から世に現れたのだろうか。ざっと振り返ってみれば、パソコン通信が生まれ、インターネットが発達し、ホームページなるものが作られるようになり、それを簡略化したブログなるものが作られたように思える。さらに近年では、ソーシャルメディアとしてmixiやtwitterやlineなどが主流となっている。
この時代を私は体験していないので、知識としてしか持ちえていないが、その内容はメールやチャットの文字世界だ。大手のサーバーごとに別れ、それぞれが与えられた空間でコミュニティを作っていた。いうならば、全世界に開かれた閉じたコミュニティである。(矛盾しているが…そんな感じに思える。)
・ホームページの時代
インターネットの発達により情報伝達速度が向上し、絵や写真など情報量に幅が出来た結果、ホームページなる新しいコミュニティが誕生した。その内容は言わば講演発表の場だ。そこでは個人がホストとなり、ゲストへ情報を提供する。”1対多数”の開放型コミュニティが形成された。
・ブログの時代
ホームページは自由な発表の場であったが、その作成にはHTML言語などある程度の知識を必要とした。それを簡易化したものがブログである。ブログは人々に気軽に発表の場を与えると共に、友人同士のコミュニケーションツールとしても受け入れられ、大いに流行した。
近年の主流はブログからソーシャルメディア(SNS)へと移りつつある。その内容はメールのような気軽さと友人知人とのコミュニケーションに重きを置いたコミュニケーションツールである。そこでは、”1対少数”の閉鎖型コミュニティが形成されている。
・まとめ
インターネット社会の歴史を振り返ってみた。どうだろうか、違和感を覚えるところは無いだろうか。その流れを下記へと箇条書きにしてみる。
パソコン通信 :開放型閉鎖的コミュニティ
ホームページ :1対多数の開放型コミュニティ
ブログ :1対多数の開放型コミュニティ+友人同士のコミュニケーションツール
以上のように考えてみると、インターネット社会はより開放的方向へと進化した結果、閉鎖的コミュニティが流行するという逆転現象が起こっている。
2.ブログによって何が変わったか
・ブログ流行の影響
ブログ誕生の一番の影響は、その手軽さによって多くの人がインターネットというコミュニティに参加したことだろう。個人でホームページを持つ人は社会ではまだ少数派であったが、個人でブログを持つ人は社会において一般の人となった。
また、ブログの流行によって個人のホームページは衰退した。個人でホームページを作成していた人々は気楽なブログへと移行して行く。今のインターネットの構図は「企業=大型HP(Webサイト):個人=ブログ」と二極化している。
・ブログ流行の弊害
ブログの流行によってインターネットは社会的多数派となった。インターネットはより発展したが、同時に一大メディアとして注目を浴びることになった。そして、メディアには広告産業が付いて回る。その結果、インターネットは広告を見せるために横へ横へと広がる構造へ変化した。
また、ブログも手軽さを追求した結果、その構造は情報を積み重ねていく上書き構成が主流となった。常に最新が表示され、古いものは埋没していく。結果として、そこに記載される記事は速報性、即興性の強いものが好まれる傾向が強くなった。
つまり、ブログの流行以降のインターネットは情報を横滑りさせ、読者を横へ横へと導く、広く浅いモノへ変化したのだ。
・埋没する専門性
その結果インターネットで何が起こったのか? メディアと広告産業の進出が進み、ステルスマーケティング、アフィリエイト、seo研究などが盛んに行われ、不要な情報が雪崩のように利用者に降りかかるようになった。
利用者にとって有益な情報は届きにくくなり、利用者はソーシャルメディア(SNS)という閉鎖的コミュニティへと逃げ込むことになる。(※そこですら広告媒体ではあるのだが...。)
また、情報の氾濫/横滑りの中で、専門的なホームページは次々と埋没してゆく。インターネットは広大に思えるが、機器の更新や仕様変更などにより、手付かずのホームページの寿命は驚くほど短い。10年前のページを見つけることは案外困難である。
3.ネットの有益な情報を守るために
・脱!ブログ化
前項で考察したとおり、ブログは通常、読者を横へ横へと押し流す構造となっている。有益な情報とは縦方向へ深く進まねば身につくものではない。ならば、どうすればよいか? 懐古的ではあるが、ある程度有益な情報を作成できたならば、ホームページへの回帰を提案したい。
ブログの形態とは雑誌のようなものだ。読者は最新を好んで読むが、ほとんどの場合古雑誌を読もうとはしない。対して、ホームページはその構成を自由に縦方向へと作ることが出来る。作者は一冊の書籍を作るように、始めから終わりまでを順序だてて記載し、読者をそのように誘導できるはずだ。
※もし、このブログがある程度の満足を得られるようなものになったとしたら、私もホームページ化を検討するだろう。
・まとめサイトのように
このインターネットの横へ横へと広がる性質を逆手にとったのが、最近話題の”まとめサイト”である。これらは著作権などさまざま問題を抱えてはいるが、横滑りする情報をダムのように蓄えて、縦の情報へと並び替えて提供することで支持を得ている。
このやり方を上手く取り入れたブログ運営が可能ならば、有益な情報をブログで維持することが可能かもしれない。ただし、このやり方はブログの大型化/企業化に近く、個人の意見発信の場としては辛くなる可能性が高い。
・電子書籍という希望
最後に、これはもう少し未来への期待となるが、現在よりも電子書籍が普及し一般化することで、電子書籍の自己出版を手軽に行えるようになる可能性がある。現段階では、その知名度、広告の必要性、収益など疑問が残るが実現は可能なところまできている。
これが一般化すれば、横滑りする広告媒体となったインターネットを逆手に取り、自己広告自己出版にて有益な情報を世に広く提供できる時代がやってくるかもしれない。ブログでの内容を電子書籍として順序だて、きちんとした縦方向の知識として再構成し、発表しなおせばよいのである。
(今回の取っ掛かりとなった他ブログ様はこちら)
※私はまだブログ文化に詳しくないのですが、こういう他ブログ張りは良いのかな? 当然記事の流用等はしていませんが、まずいようでしたらご教授ください。