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Baicaiの欠片

なんちゃっ哲学はじめました

文理の対立を煽るもの - 大学とはなにか? (1)

 

gqjapan.jp

  さて、時事ネタである。取り上げたかった事柄でもある。なんと國分功一郎もそこに居た。これに乗っからない手は無いだろう。

 まずは問題提起。詳細は上記サイトを見て頂くとして、抜粋するとこのようになる。

文科省の審議会の一つ(「国立大学法人評価委員会」)は、国立大学における教員養成系および人文社会科学系の学部の廃止を提言し、より「社会的要請の高い分野への転換」を求めた。他の類似組織でもこれを後押しする提言が行われている。

(※文科省のサイトで該当資料を簡単に探してみたが記事で指摘された具体的な資料は確認できなかった。しかし、この手のサイトはホント人に見せるように作られていない…。)

 

  身も蓋も無い言い方をすれば、企業は「人文系は必要ない。即戦力がほしい。」ということだ。しかし、今回ここでその是非を問うつもりはない。

 私が不思議なのは、近年の文理の対立を煽る構図は何だろう?ということだ。 文系は○○、理系は××。まるで血液型占いのようだ。今日はちょっとこの文理の対立を探ってみたい。

 ※本考察は私個人の試みであり、参考文献を差し込めるような高尚なものではありません。過ちが多く信憑性にかける放談であることをご了解ください。

 

 長くなりそうなので目次を作ってみた。

1.悲鳴を上げているのは誰か?

2.争いの趨勢を見下ろしてみる

3.扇動する不足とは何か?

4.社会安定のための生贄

5.そもそも文系理系の学問の扱いの差ってなんなのさ!

 

  1.悲鳴を上げているのは誰か?

 

 どうも近年、日本の文系学問と理系学問の間で諍いが起こっているようだ。私感では、良くあるインターネット上のイザコザに過ぎないと思っていたのだが、どうもコトはもう少しだけ深刻らしい。

 そこに争いがある以上は原因があって、苦しみがあるのだろう。企業の要望とか文科省の舵取りとか、そんなことはこの際どうでもいい。ここで悲鳴を上げているのは誰なのか? それを探ってみようと思う。

 

 さて、問題がニュースという形で見えているならば、当事者に聞くのが一番だ。この場合、見えている当事者はこのぐらいだろうか?

”安倍首相と文科省”=”政府”

国立大学法人評価委員会”=”法人(企業)”

”インターネット上の個人”=”学生/卒業生”

 ・政府

 政府はこの問題の受け取り先だ。教育改革なるものを進めるべく、要望を募り、この問題を受け取った。ここが悲鳴を上げているとは考えにくい。あるとすれば、「改革をしたいけれどどうしたらいいのかわからない!」という悲鳴だろうか?

 

 ・法人(企業)

 法人はこの問題の提案主のようだ。大学は学問機関ではあるけれども、そのほとんどの卒業生は企業労働者となる。企業は学生の受け皿といっても良い。ここが悲鳴を上げているのだろうか? 問題の提案主でもある。関連性はありそうだ。

 

 ・学生/卒業生(労働者)

 学生/卒業生はこの問題の当事者と言える。そして、どうも争いの最前線は彼らが担っているように思える。実際に血を流しているのは彼らだ。悲鳴を上げているのも彼らか? こちらも関連性は深そうだ。

 

 2.争いの趨勢を見下ろしてみる

 

 この争いの様相は一貫している。企業は文系学生を求めず、政府もそれを是としており、最前線では理系が文系を叩きのめしている。理系の主な主張は社会貢献度と学問労力のようだ。対する文系の申し訳程度の主張は社会幸福度と言ったところか。

 このように列挙するといかにもな争いに見えるが、下記にそれぞれの要望をまとめて箇条書きにしてみた。

企業=即戦力となる人材の不足

政府=国力となる企業の安定

理系=社会貢献と専門性の自負=見合った報酬の不足

文系=社会幸福の不足

 

 なるほど、見下ろして見るとこの争いの様子が良く分かる。まず、第一に政府と企業の要望は一致している。忘れてはならないのは、政府と企業は直接的に理系を欲し文系を潰したがっている扇動者ではないということだ。

 第二に理系と文系の要望は”不足”という共通項で一致している。つまり、彼らは何かしらのパイを奪い合って争っているのだ。ならば、彼らを争いへと扇動する不足とはどのようなのものなのだろうか。

 

 3.扇動する不足とは何か?

 

 争いの当事者である学生/卒業生(労働者)の求めるものと言えば、就職先であり、社会的地位であり、金銭的報酬だろう。即物的すぎるだろうか? ならば、文系の意見を汲んで、そこから得られる人間的幸福といっても良い。

 つまり不足しているパイとは人間的幸福ということになる。ということは、それが満たされない要因は社会不安とも言っても良いだろう。彼らの悲鳴は社会不安によるものであったのだ。

 

 4.社会安定のための生贄

 

 当事者たちの悲鳴の内容が理解できた。となれば、それを解消すべく動き出すのが政府の役割だろう。政府は社会を安定させるために、さまざまな改革を打ち出している。先に紹介したサイトの記事である教育改革もその一つだ。

 今まで考察したとおり、政府と企業の要望はほぼ一致している。「社会不安を取り除くため、”社会的要請の高い分野へ教育投資を行う”ことで、企業は即戦力を得て成長する。企業はそこで得られた成果を労働者へ還元する。労働者は報酬を経て、人間的な幸福を得る。結果社会は安定する」政府が描く絵図としてはこんなところだろうか。その生贄が”人文社会科学系の学部の廃止”である。

 

 だが、件の記事ではその改革に疑問を投げかけている。 

「学問を通じて懐疑を学び、教養が生まれ、自信が表れ、自己判断が可能になる。革新は自己判断無しには生まれ得ない。経済優先の考えは正反対の結果を招く」と國分功一郎は警鐘を鳴らしている。

大学とはなにか?|GQ JAPAN

 

 5.そもそも文系理系の学問の扱いの差ってなんなのさ!

 

  さて、まとまりかけたこの考察に新たな疑問が現れてしまった。確かにこの”人文社会科学系の学部の廃止”という政策は、文理紛争で弱った一方を生贄に差し出してしまえ!という安易な政策にも思える。

 そうなると、再度考えなければならない。何故企業が求める即戦力の人材は”文系<理系”と考えられているのか? ほんとに社会貢献しているのは”文系<理系”なのか? 文系のいう社会幸福って何だ? そもそも文系理系の学問の扱いの差って何なのだ? 

 

 これは大変だ。疑問符ばかりになってしまった。こういうときは一度冷静になりたい。政治家の先生方に倣おう。社会の安定を得る政策は難しいが、個人が当面の安定を得る方法は簡単だ。問題の先送りである。では、サラバ!

 

次回へ続く。

bungeibaicai.hatenablog.jp

 

蛇足…

 目次なんて作ってしまったので、ページ内リンクをつけようかと思ったが、見たまま編集では出来ないの? HTML編集で付け足す気力は今は無い…。少子化とか私立大学の問題とか要因は複雑だと思うけれど、そのへんは取り上げませんのであしからず。あ、あと國分功一郎タグつけたけど、元記事はあんまりいい記事じゃないね。ちょっと漂うなおざり感。