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Baicaiの欠片

なんちゃっ哲学はじめました

他者に本を薦めることは止めよう(2) - 読んじゃった。

哲学の先生と人生の話をしよう

 

今日は、ただ、一言しかない「読んじゃった。」

 

 『暇と退屈の倫理学』のまとめを終えてから、他の記事を書きたかったのだけれど、考えて再構築する作業に疲れて読んじゃった。

哲学の自然 (atプラス叢書03)

 正直に言うとこっちもチラッと読んじゃった。当然ながら、「暇と退屈の倫理学」のことが言及してあり、「もー、人が考えてる最中に答えを言うのやめてよー」という気分である。当たり前ではあるが、読んだのも私なのだが。。。そして表題でもある。

  

前回私は読書の醍醐味をこう書いた。

「ヤバイ、この人好きだ。ヤバイ、逆立ちしても勝てそうもない」

でも、このヤバイ!もうドウにデモしてくださいって感じる絶対的敗北感!

この感覚こそ久しく忘れていた読書の醍醐味ではあるまいかと思うわけです。

 だから、今回はこう問いたい。

「もー、人が考えてる最中に答えを言うのやめてよー」

 思い起こせば、人が考えてる最中に答えを言う人ばっかりなのだ。だから私はここ数年読書すら止め、耳を塞いでしまったのではなかろうか。

 

 学校からしてそうだ。問いと答え合わせの隙間は5分も無いんじゃなかろうか。予習して来いって?予習する君は答えから先に見て勉強をしてないか??

 

 社会でもそうだ。「君は~についてどう思う?」5分も考えて沈黙すればニヤリと笑って「すぐ応えられないようでは勉強不足だね。」阿呆のレッテルをペタリである。答えを用意しておけというのだ。

 

 情報化社会なんてチープな言葉を使うのも気が引けるのだけれど、今の社会は”情報”つまり”答え”が大量に生産されている社会だ。そこで”問題”は問われない。

 

 その上、元より私たちは教えるのが大好きである。教えるのに飢えている。人が考えているのを待っていられない。答えを知っていれば、物知り顔でやってくる。教えたくてたまらない。

 

 『暇と退屈の倫理学』からパスカルの言葉を借りるならば、「これらのことを知っているぞ!と示すのが大好きなもっとも愚かな者だ」それが今の私たちだ。

 

 だから、ちょっと待ってくれと言いたい。「も-、人が考えてる最中に答えを言うのやめてよー」と言いたい。問題を持つ、問いている、考えているその人に。安易に教えるなと言いたい。その人が目を背け、耳を塞がなければ、何も考えなくなってしまうその前に。

 

蛇足…

後ろの方は勢いで書いた…